まちぽっとでは、2016年度に編纂資料を現在の視点で活かす連続企画を開催しました。 第1回は、NPO法成立過程での議論を振り返り、そこに存在した可能性をもう一度見直すとともに、「いまのNPOセクター」をそれぞれ別のアプローチで推進する3つの中間支援組織の皆様をお迎えし、過去の蓄積と現在の視点からNPO法とNPOセクターの課題と可能性を議論しました。    *肩書きは開催当時

第1部;市民・政党等で繰り広げたNPO法制定までのさまざまな議論と、その結論

辻 利夫(まちぽっと理事)、原田 峻氏(立教大学コミュニティ福祉学部コミュニティ政策学科助教)

第2部;パネルディスカッション「NPOの持つ可能性を広げるために」

関口宏聡氏(シーズ・市民活動を支える制度をつくる会代表理事)、新田英理子氏(日本NPOセンター事務局長)、鈴木敦子氏(ETIC.事務局長)、山岡義典氏(助成財団センター理事長)

  • 日時:2016年9月29日(木)18:30~21:00
  • 会場:四谷地域センター 12階多目的ホール

 

 

 

 

 

坪郷實氏(早稲田大学社会科学総合学術院教授)

(第3期(2016年~2017年)プロジェクトの第1回目となる今回のフォーラムでは、最初にメンバーの一人である坪郷氏がプロジェクトの全体像について説明を行いました)

このフォーラムの背景にあったNPO法設立過程資料編纂プロジェクトは、NPO法制定前後10年間の資料整理と当時の中心人物へのヒアリングを行いました。 NPO法制定のプロセスの中で、市民活動側が様々な資料を残す必要があるという意図が出発点でした。NPO法は市民活動団体が連携して法案を作り、それを議連が通したものです。その歴史的な振り返りから、NPOの現状の課題や未来の可能性を見ることができると考えています。

また、NPOは地域の中で連帯や新しい社会を作り出す可能性を持つと言われていますが、実際にはどの程度できているのか、それを活かす制度や仕組みはできているのか。今回を含めて全4回連続の講座で考えていきたいと思います。その第1回は、前半は当時の資料を元にした整理を行い、後半では複数の特徴的な中間支援組織の活動から今の視点で問題提起をして頂くことになっています。

 

第1部:「市民・政党等で繰り広げたNPO法制定までのさまざまな議論と、その結論」

登壇者

*辻 利夫(認定NPO法人まちぽっと/旧・NPO法人東京ランポ)
*原田 峻氏(立教大学コミュニティ福祉学部コミュニティ政策学科 助教)

 

本論

辻 NPO法立法運動の背景について、そのはじまりから阪神大震災までの経緯をお話します。前提として1980年代、それまでの市民「運動」から、新たな市民「活動」への変化と拡がりが関係しています。

立法活動の始まりの一つは1992年の第2回日本ネットワーカーズ・フォーラムでした。そこで「老人給食の会、ふきのとう」などが、生活の場である地域社会の課題を発見し提起しました。それは行政への異議申し立てではなく、自らの公共サービス事業によって社会課題を解決へ導こうとする動きだったのです。その活動の中で新たな制度改善の提案や啓発が見え、組織・マネジメント強化へと向かった。これらのような動きが各地で起きてくることに、フォーラムを主催したネットワーカーズ会議は着目したのです。

1993年の東京ランポ「NPO支援制度研究会」では、コミュニティをベースにした市民活動が話題になりました。行政・企業セクターに対する「市民セクター」とは、多元的な価値に基づき市民が主体になることであり、既存の制度や公益法人の枠を超えた、新たな非営利市民活動の拡がりが必要であることを提案しました。その後に、シーズ(シーズ・市民活動を支える制度をつくる会)を発足しました。

80年代からNGOの活動も注目されるようになっていました。1992年の第2回全国NGO連絡会では、政府から自立した社会的活動として、持続性や社会的責任を持つ主体として、財政基盤の確立と組織マネジメントの強化が語られました。市民活動の国際化による欧米NGOとの比較も論点になっています。

他に、この頃のODAやリオ地球環境サミットの動き等のまとめとして、1994年にNIRA総合研究開発機構(政策研究のネットワーク)が、市民公益活動基盤整備に関する調査研究を発表しています。生活の当事者の分野(障がい、高齢者福祉、在日外国人、子ども子育て等)の広がりと、市民参加による民主主義の活性化=参加民主主義による形成、変革という内容です。

さらに、市民活動は行政の情報公開が前提になるため、地域づくり・まちづくりにおいても、市民との対話を求める自治体の動きが表れてきた。都市計画法の改正と制度化、その裏側にはバブル期の地上げによる地域コミュニティ崩壊への危機感も背景にあったと思われます。

この頃から、国による公共性独占から市民による公共性の形成(新たな公共、もう一つの公共)への変革を行政改革や地方分権推進の閣議決定も後押しし、NPO法の立法運動の主な要件として、市民活動の主体性自主性を尊重するための主務官庁の統制から独立した法人格の必要性に集約されていきました。

 

原田 ここからは、阪神大震災以降のNPO法設立までの過程についてお話しします。そもそもNPO法ができる前は、営利を追求する株式会社か、もしくは主務官庁の監督が強力な公益法人のどちらかしかありませんでした。よく阪神大震災があってボランティアが活躍したことでNPO法ができたと言われますが、実はその前にほぼすべてのアクターは出揃っていたのです。

その中で政治の中心になったのは、自社さ連立政権*です。当時、自社さがイデオロギーの違いを超えて、共通のイシューにできたのがNPO法であり、また野党として動きの中心になったのは、日本新党(新進党)でした。シーズが法案の試案を出したのが95年の夏から秋にかけて、論点は、団体ではなく活動への着目、私的自治の原則、市民参加、情報公開などです。「公益とは何か」を定義しようとすると国の制約下に入ってしまうので、公益は「団体」ではなく「活動」にかかっている言葉とし、あくまでも特殊な非営利法人と位置づけ、加えて税法の中では当初は任意団体と同じとしたこともポイントです。

1993年に日本新党のNPO議員立法タスクフォースが、1994年にさきがけのNPS研究会、自民党、社民党でも研究会が発足、経済企画庁の国民生活審議会などでも検討が開始、これらは全て震災前の動きです。この時点ですでにシーズの松原氏がさきがけに呼ばれ、ヒアリング内容が骨組みに組み込まれていました。阪神大震災後、省庁連絡会議では、「ボランティア支援立法」と位置付けしようとしましたが、与党三党が働きかけ、1995年末には主導権を閣法から議員立法側に取り戻し、そしてスピード重視で民法との棲み分けのために特別立法へと動いていきました。ただ、自民党の修正案に入っていた「低廉(≠無償)性」などに社さが反発、最終的には民主党結成が外圧となって1996年9月に第二次与党合意がなされ、「低廉性」は「市民に開かれた自由な社会貢献活動」に修正されることで収束しています。

1996年末には辻元議員の登場が大きく影響し、自社さの妥協案がひっくり返され一度議論のやりなおしがありました。1997年1月以降は与党3党と民主党の修正協議が始まり、シーズは与党三党に民主党を加えたルートを使ったロビイングを行いました。政治上の主義を施策と分割、他に社員の無報酬制、社員名簿提出の要件などが争点になり、1997年6月に衆議院で市民活動促進法案が賛成多数で可決されました。税制優遇措置については「2年以内に結論を出す」という附帯決議が出されました。

参議院では、新進党と公明党が抵抗、加えて自民党が「市民活動促進法」という名称へ強く懸念を示したため、「特定非営利活動促進法」という言葉に差し替えて妥協。経団連の声明発表や2821の市民団体の共同緊急提案も影響して、1998年3月にNPO法が成立しました。

*自社さ連立政権・・・1994年6月30日から1998年6月までの自由民主党・日本社会党(1996年1月19日以降は社会民主党)・新党さきがけによる連立政権。

 

参加者から質問

経緯の中で、いま現在のNPO法の課題や問題点を理解する上で重要なポイントを教えてください。

 

辻 立法運動の中で一番重要だと思ったことは、市民活動団体の自立性・自主性の担保でした。今現在は社会情勢が変わってくる中で、政治活動との絡みとその規制などが気になっています。

原田 法人格の取得が許可制ではないこと、つまり私的自治が重要だと思います。あとは名前が市民活動にできなかったことでしょうか。その後も法改正のたびに話題に出ていますが、毎回実現しないことを鑑みても影響が大きかったのではと。法案の名称がそのままであれば別の進化を遂げた可能性もあったのではと思ってしまいます。

 一方で、中曽根政権あたりからのサッチャリズム的な規制緩和や民営化が主張されてきた流れが、保守派からもNPO法的なものが応援された背景だったのではないかと考えられます。ある意味、市民よりもその方面の動きは影響が大きい部分がある。数は少ないが、NPO法は社会主義の第三の道だという事を発言する方もいらっしゃった。

政治的なものや市民の考えなど、色々な主体がそれぞれの思惑の中で主義主張があり、それに対して妥協案を調整し合いながら出来上がったのがNPO法です。そのプロセスや成果物をどう評価するかの視点が必要です。

 

第2部:パネルディスカッション「NPOの持つ可能性を広げるために」

登壇者

*関口 宏聡氏(認定NPO法人シーズ・市民活動を支える制度をつくる会代表理事)
*新田 英理子氏(認定NPO法人日本NPOセンター事務局長)
*鈴木 敦子氏(NPO法人ETIC.事務局長)
*山岡 義典氏(公益財団法人助成財団センター理事長) /コメンテーター

 

本論

関口 「NPOの持つ可能性を広げるために」というテーマで、今回は少しプライベートと自分の仕事の関係性もお話することにします。私は、シーズ結成当時は小学4年生でしたので、当然シーズのことは知りません。NPO法成立時は中学2年生でした。その後、シーズには、最初は大学生の頃に「NPOのアカウンタビリティを考える」イベントに参加、その後アルバイト採用されました。

当初は目標達成したら解散するということで、シーズはずっと法人格をとっていなかったのですが、NPO法のメンテナンスも必要ということで法人を取得することになりました。私自身は2007年にアルバイトからシーズに就職し、その後日本ファンドレイジング協会の設立などに携わり、様々な意味で節目の年となった2011年は、仕事では法改正のロビー活動や「新しい公共」支援事業などに関すること、プライベートでは結婚や妻の出産などでバタバタしていました。常務理事を経て、2015年に代表理事に就任しました。

本日前半のNPO法制定時の議論から考えると、結果としての制度だけではなく、そのプロセスから見えてくるものもあります。当時議論された、果たして「市民活動」なのか「市民事業」なのかということもその一つです。修正されたNPOの低廉性については、実は今では評価できる部分もあるのではと思っています。結果論ではありますが、「法人格」と「税制」は、当時分離して大正解でした。

これからのNPO法を考える上での課題や論点は、例えばICT(インフォメーション・アンド・ コミュニケーション・テクノロジー)やAI(人工知能)の発展に伴う問題、テロ組織のマネーロンダリングへの対応やTPPなど国際的な問題、ふるさと納税から見える行政のNPO化など、諸々あると思っています。NPO法施行から18年を迎え、最近ではNPOが社会のインフラ、つまり当たり前に埋め込まれているようになってきている実感として、自分の親族からNPOを作りたいという相談があった時には驚きました。

2016年10月12日の超党派との勉強会があります。これは2016年のNPO法改正に努力された議員の皆さまへのロビー活動のお礼の意味もあり、感謝を直接お伝えすることが大事です。みなさんにもぜひ参加していただきたいと思っています。

 

新田 私は、日本NPOセンター3代目の事務局長です。私自身もNPO法制定の時に立ち合っていたわけではありません。日本NPOセンターは1996年に設立し、今年で設立20年を迎えます。民間非営利セクターに関する基盤的組織として、NPOの社会的基盤の強化を図ることと企業や行政との新しいパートナーシップの確立ミッションに活動を実施しており、現在の事業としては、NPO法人のデータベースやソフトウェア仲介事業、企業とNPOの協働事業、NPOの普及・啓発活動、東日本大震災後は震災関連事業など、8つの柱で60程度の事業を行っています。

日本NPOセンターの特徴はNPO法を作る段階から全国の、分野を問わないNPOと連携して活動していることです。NPO法人が広がった理由は、1つ目は団体委任事務*だったため、各都道府県に条例が作られ、それに市民が参加したこと。2つ目は、介護保険や、totoの助成、指定管理者制度など、新しい公共サービスを実施する団体の受け皿としてNPO法人が使われたことではないかと個人的に考えています。

よく、なぜNPOはこれほど広がったのか?と質問をうけることがありますが、そもそもの理由として、市民による市民のための活動をサポートするための制度であるという点が大きいと思います。市民性とは、1.自発性、2.個別性、3.選択性、4.機動性、5.先駆性、6.変革性のことで、それを法人格としても保証しようとしたのがNPO法を作る時の活動をしておられた皆さんの想いではないかと思うのです。

今日的課題としては、2008年の公益法人制度改革で公益性・公共性・非営利性に関する社会的な幅が広がったことによって、NPO法人と一般法人等との差異が分かりにくくなったことがあると思います。また、NPO(非営利事業体)なのかNPO法人なのかなど、世代間におけるギャップが生じている印象もあります。また、問題意識としてSDGs(持続可能な開発のための2030アジェンダ)目標との関係性も考えていく必要があると思っています。

*団体委任事務・・・法律またはこれに基づく政令により普通地方公共団体に属する事務

 

鈴木 ETIC.は、自分たちの定義として、株式会社でもなく、社団法人でもなく、まさにNPO法人格を待っていたと言っていいと思います。そういう意味で、自分がここにいることも有難いなと思っています。

私たちのミッションは「主体的に問題解決をし続けていくアントレプレナーシップ溢れる人材が育まれる社会」づくり。具体的な事業は、インターンシップや東北支援、社会起業家育成などですが、ただこれは手段であり時代ごとに異なるものです。いずれにも共通しているのは、挑戦している現場に次世代をつなぎ、巻き込むコーディネーションです。

1993年に学生団体として活動開始、1997年に事業体へ移行、2000年にNPO法人格取得。非営利事業体を選んだ理由としては、自身が行うコーディネーションにニュートラルであることを求めたためです。ITバブル崩壊後の時代に、社会起業家、ソーシャル・ビジネス、ソーシャル・アントレプレナーという新しい生き方、考え方を若い方々に提案をしました。当時、我々の支援プログラムにエントリーしてくれたのが、フローレンスの駒崎くんや、かものはしプロジェクトの村田さんなど。「まさにこれだ!」と言ってもらえて、その後輩たちが続きました。

未来の話をすると、自分たちのモチベーションを「社会を良くすること」において事業を行いたい人たちは沢山いるはずだと思っています。右肩上がりの成長の時代でもない中で、新しい生き方・働き方を選ぶ若者たちのため、法制度等の更なる進化を期待しています。

 

山岡氏(コメンテーター) このプロジェクトでは、原田氏のような若い研究者に参画してもらえたことは大きな成果です。当事者の語りだけではどうしても自己弁護で偏りが出るため、客観的な視点で明らかにしてもらえることが重要です。今回の特徴としては、市民団体サイドの文書と政治サイドの文書の両方を合わせて見ることによって、NPO法制定時の状況が立体的に分かった経緯があります。

法が制定される過程では、猛烈に全国各地で勉強が行われていました。地方での学びを通して初めて聞いたことが、その後も法の様々な部分に影響しています。その「周り」から学ぶ機会が今は減ってしまっているのではないかと感じます。また、さまざまな対立する意見が互いに妥協をしながら本質を理解していく意義が大きかったわけですが、今はそれぞれのNPOが個別事業でいっぱいになってしまっていて異なる考えと議論して理解を深めることが、希薄になっているようにも思えます。

NPO法の議論においては、第1条(※)にその本質が表れていると言えるでしょう。それぞれの思惑で、問題のある言葉を排除するのではなく、「ボランティア」や「市民」や「公益」等を実によく結びつけた。「自由な~」という言葉を核にしているところも重要です。これは議員立法だからできたことで、他の閣法とは大きく異なる素晴らしさです。

立法過程でNPO法の特徴となる遺伝子が生まれ、それがその後も継承されていく。一般的な立法過程ではなく、市民と政治、それぞれの中で同時多発的な議論が行われ、最終的には全会一致で国会を通過した。それがNPO法の遺伝子になっているのです。

※特定非営利活動促進法第一条(なお、〔 〕は2012年改正に伴う加筆で成立時には存在しない。)

この法律は、特定非営利活動を行う団体に法人格を付与すること〔並びに運営組織及び事業活動が適正であって公益の増進に資する特定非営利活動法人の認定に係る制度を設けること〕※等により、ボランティア活動をはじめとする市民が行う自由な社会貢献活動としての特定非営利活動の健全な発展を促進し、もって公益の増進に寄与することを目的とする。

 

ディスカッション

原田 まず確認ですが、先程、鈴木さんが使われた「ニュートラル」というのはどういう意味でしょうか?

鈴木 自分たちの利益を最優先していないという、ステークホルダーに対する証明という意味です。その非営利性が自らのアイデンティティーになり、大学や行政と仕事がしやすかったと感じています。

原田 なるほど、政治上の主義主張という意味ではないのですね、ありがとうございます。それでは他の皆さんからもコメントを頂きましょう。

関口 NPO法で特筆すべき点に、制定以来ずっと「PDCAサイクル」を回し続けていることがあります。NPO法はこれまでの18年間で、主要改正だけでも5回もこまめな改正を重ねています。つまり、今の法律や制度が100点満点と思わない姿勢、常に批判的であることもある意味、「NPO法の遺伝子」だと思います。

日本には4,000近く法律があると言われていますが、制定後ずっと放置されているものも多々ある中で、時代に合わせて市民と議員が一緒に改善を続けていることは非常に大きな特徴と言えるでしょう。

新田 先ほど、NPO法を制定した際には、各地域の皆さんと一緒に運動してきたことがポイントであり、今はそこが少し弱まってしまっているというご指摘がありました。2011年に行われたNPO法の抜本改正で税制に関しても完成度の高い法律ができたという一定の達成感があって、その後の法律改正の争点が見えにくくなったことは大きいと思います。また、地方分権が進む中で、法律と条令の関係でいえば、法律の改正に地域の声を反映し、また法律がどのように条例に影響していくのかまで説明ができないと、全国で一体となって運動を進めていくのは難しいです。そして、もう一つはNPO自身、事業型になっていることろも多く、活動の比重で言うとアドボカシー活動を積極的に進める団体の声を集めることが厳しい状況になっていることも要因かもしれません。

その意味でも、国を対象とした行政との対話だけでなく、地域における地方議員との超党派での対話は重要性を増しています。

鈴木 この法律は、いろいろな人の議論がつくされて作ってきたルールだということがよく分かりました。やりとりの内容や考え方を学べて良かった。このような歴史も、また伝えていきたいと思いました。

 

参加者からの質問

関口さんが、憲法89条のことを資料に入れていらした背景について、もう少し触れて頂きたい。

また、阪神と東日本大震災の時の違いとして、NPO法があったからこその意義について、本日ご参加されている堂本暁子さんにお尋ねしたい。

 

関口 あくまで個人的な見解ですが、憲法89条については、法文をそのまま素直に読めば、NPOには公金支出はできないことになると思います。現実の適用に際しての解釈による対応には限界があるので、他の条文同様に今後様々な案が出される中で、議論が必要なのではないでしょうか。NPOに関わる者としては、他の条文だけでなく、この89条についても少し考えなければいけない時代なのではと思っています。

堂本暁子氏(元参議院議員・さきがけ、前千葉県知事) NPO法と災害の問題、例えば「仙台防災枠組※」は本当に重なっています。NPO法が本来主張していた名称は、「市民活動促進法人」でした。但し、参議院自民党は「市民」という言葉を絶対に許せないと発言、私たちは、社会とは行政と経済界だけではないことを公的に位置づけるために市民という言葉にこだわり、怒鳴り合いの大喧嘩になりました。

彼らのイメージする市民とは、マルクス・レーニン主義的な革命家のイメージ。だから絶対に潰したい。しかし、私たちが主張していたのは英語の「シチズン」でした。同じ言葉を使用しても、全く異なるものです。そこで、他を捨ててでも、部分的に1条の主語・主役である「市民」という言葉だけを残すことに賭けた。その主役は、災害であれば「地域住民」と言えるでしょう。

この「市民が主役である」ということが、今少し悪化しているように感じられます。これから市民がもう一回主役になるように、私たちは敏感に取り組まなくてはならないと思います。

※仙台防災枠組・・・2015年から2030年までの15年間における防災行動に関する国際的指針

 

参加者からの質問

先日お会いした若い方から、「活動していくために敢えてNPO法人格を取得しない、任意団体の方が自由に動きやすい」という発言がありました。先の話にもあった、NPOの世代間のイメージの差についてどう思われますか。

 

関口 NPO法は、法人や税制の充実だけではなく、もっと「個人」に注目してもいいのではないかと最近は思っています。個人単位での挑戦や社会貢献活動をより応援する制度の充実が必要かもしれません。

新田 11月23日に行う「市民セクター全国会議2016」の告知にもなりますが、ご自身の団体の固有ミッション達成だけを考えるのではなく、皆さんにもっとセクター全体のことも考えて欲しくて、そのような場をつくっています。このような会へ、ぜひ若い方にもご参加いただきたいと思います。

鈴木 今、私たちはあまり法人格にはこだわっていませんが、法人格による社会的なアイデンティティーやクレジットはもっと理解され、事業や活動のステージによって選びやすくなればいいと思っています。

山岡 必ずしも法人格は必須ではありません。NIRAの研究当時から、1,000万円を超える事業規模であれば法人格が必要だという話もあった。もちろん、現状300万円の規模でも将来的に成長を目指すのであれば取っておくほうが良いが、ずっと小規模なら法人格はいらないのではないかと私は思っている。あとは、雇用や契約の観点での必要性によって検討すればいいのではないでしょうか。