連続企画第3回は、日本NPOセンターが主催する「市民セクター全国会議2016」の協賛プログラムとして開催しました。当日はこれからの日本社会におけるNPOと政治の関係性を切り口に、第1部では「NPOと政治」に関する整理と問題提起、第2部では「ロビー活動の実践」の国政と地域におけるロビー活動の具体についてお話いただきました。 ご来場者は、アドボカシーやロビー活動を行なっている団体の方、地域社会で活動している団体の方、研究者など、多種多様で実際的な知識をお持ちの方が多かったため、今回はワークショップ形式で登壇者の問題提起を様々な視点から議論する形で進行しています。    *肩書きは開催当時

第1部;NPOと政治

坪郷 實氏(早稲田大学社会科学総合学術院 教授/まちぽっと理事)、三木 由希子氏(情報公開クリアリングハウス 理事長/まちぽっと理事)、グループディスカッション

第2部;ロビー活動の実例、国政と地域

関口 宏聡氏(シーズ・市民活動を支える制度をつくる会 代表理事)、神田 浩史氏(フェアトレードタウン垂井推進委員会 会長/泉京・垂井 副代表理事)、グループディスカッション

  • 日時:2016年11月23日 13:00~16:00
  • 会場:聖心女子大学

 

 

 

 

 

第1部:NPOと政治

登壇者

*坪郷 實氏(早稲田大学社会科学総合学術院 教授/認定NPO法人まちぽっと理事)
*三木 由希子氏(NPO法人情報公開クリアリングハウス 理事長/認定NPO法人まちぽっと理事)

 

本論

坪郷 實氏(早稲田大学社会科学総合学術院 教授/認定NPO法人まちぽっと理事)

第一に、これまでの論点を確認するために、NPO制定過程におけるNPOと政治についてお話したいと思います。当初議員立法として提案したのは「市民活動促進法案」という名称でした。“市民”という、それまで法律では使われていなかった用語が入っているという特徴がありました。しかし国会で議論するプロセスの中で、最終的に法律として成立した際には「特定非営利活動促進法(通称NPO法)」という名称になりました。NPO法の第1条には特定非営利活動法人についての定義があり、その中に「市民が行なう自由な社会貢献活動」という、略すと「市民活動」といえる表現が残りました。これによって、初めて法律の中に「市民」という言葉が使われるようになりました。

このような経緯で、現在でも「市民活動」「市民活動団体」「NPO」「NPO法人」という言葉は広義であったり狭義であったり、いろいろな使われ方がされているわけです。NPOというと、NPO法人に限った議論をされることが多いのですが、法人格を持つ団体だけに限定されるわけではなくて、任意団体もNPOだという捉え方もあります。もっと広い意味での市民活動団体ということでは、NPO法人だけではない多様な法人格を取得して活動している団体も多く存在しています。

NPO法の中には、NPOと政治に関する条文がいくつかあります。第二条2項のロには『政治上の主義を推進し、支持し、又はこれに反対することを主たる目的とするものでないこと』とありますが、これは「従たる目的であれば良い」と読めます。また同項ハには『特定の公職の候補者若しくは公職にある者又は政党を推薦し、支持し、又はこれらに反対することを目的とするものでないこと』とあります。これは公職選挙法にも書かれていて、なぜ同じことをここに書くのかという論点があると思います。第三条2項には『特定非営利活動法人は、これを特定の政党のために利用してはならない』とあります。これには戦後間もない頃にできた消費生活協同組合法の中に、同じ条文があります。関連していくつかの法律にこの文章が書かれているのですが、関連するすべての法律にこのような文章があるかというとそうではなくて、特に戦後すぐに作られた法律です。この条項は、NPO法に必要だったのだろうかと思います。

このような一連の条項がありますが、NPOは政策提言活動を含めたアドボカシー活動を自由に行なえることは、憲法第二十一条の『集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する』から見ても明らかであり、NPO法におけるこれらの政治に関する条文は削除するという提案があってもいいのではないかと考えています。

第二に、市民活動やNPOについては、これまで様々な位置づけで議論がされてきました。市民活動はいろいろな可能性を持っている、あるいは社会変革の担い手であるという位置づけです。民主党政権時代は「新しい公共」という議論が行なわれましたし、自公政権でも「共助社会」という議論が行われています。それぞれ個別の政策は批判的な部分も含めて検討が必要ですが、そこでは政府部門/市民社会部門/市場部門という三者の役割をどう捉えるのか、あるいは市民社会を強化することによって三者のバランスや関係をどう新しく作りだすのかが重要ではないかと思います。

また、市民社会を強化することによってデモクラシーが活性化し新たな発展をする、あるいは市民活動が地域で新しい社会をデザインして作り出す、社会的な連帯を生み出すインパクトを持つ、先ほどお話したように社会変革の担い手となる可能性がある。このような議論が、行なわれてきました。

NPO法制定以来たくさんのNPO法人が生まれ、市民活動はより活発になってきました。今後、市民活動団体やNPOは地域における活動で政策課題に直面し、その課題を解決することが求められます。それは、従来の法律や制度にある障壁を取払わないと活動が難しい場面もあれば、新たな制度を作らないとうまくいかない場面もあると思います。そのために、いつくかの市民活動団体やNPOは地域の実態に基づいた政策課題を政策化し、その提言と実現のために活動をしています。

特定テーマで活動している市民団体やNPOが、自らロビー活動やアドボカシー活動を行なうケースもあれば、それを仲介する市民政策シンクタンク、NPOネットワークなど、市民活動を支援する市民活動団体(中間支援組織)がロビー活動をする場合もあります。それぞれロビー活動を行なうためには、どのような基盤整備が必要なのかという課題もあると思います。

本日の第2部では、NPOあるいは市民団体のアドボカシー活動、政策提言活動を取り上げます。そこには、国レベルにおける政策づくりと自治体レベルにおける政策づくりという2つの側面があります。この両面で、NPO法制定以来いろいろな事例が蓄積されてきたと思います。

国レベルの政策づくりでは、例えばNPOのメンバーが政府の審議会や研究会の委員として政策の原案作りに関わったり、市民活動団体が与野党の議員に働きかけて市民立法あるいは議員立法の形で政策実現を図ることがあります。しかし課題もいろいろあります。政府における政策作りの透明性の問題、国会の請願制度が機能していない問題、さらに国会における議員間の議論の不足、公聴会や参考人の招致の活用などを含めた国会議員以外の市民や専門家などがもっと国会に参加できる仕組みづくりなどは、改革が必要な部分だと思います。

自治体レベルにおいても、同様にこれまで多くの蓄積がなされています。自治体の長や行政における政策作りへの市民参加は、この数十年でかなりの蓄積があります。現在は、自治体議会の議会改革という動きが全国的にある程度広まっていますが、まだまだ十分ではありません。いくつかの先端では、議会で政策作りのサイクルを作り、複数の段階で市民が参加できるような仕組みにして、自治体議会を政策作りの場にしようという動きが出てきました。これをさらに進めるにはどうすればいいのかという課題もあるだろうと思います。

第三に、近年、18歳選挙権との関係で主権者教育が議論されるようになりました。これによって、ある意味では日本で初めて政治教育を本格的に行なうチャンスが生まれたのではないかと思います。いま動いている主権者教育がそうなるかは、これからの動きにかかっています。

そこでのシチズンシップ教育は、概括的にいいますと「政策型思考の獲得」、「政治行動のための能力の獲得」が目指されています。「市民性教育」ともいわれますが、広い意味で主権者教育とシチズンシップ教育をイコールに捉えると、そこには実践の場が不可欠です。一方的な授業を受けるのではなくて、市民や生徒一人ひとりが自らの考えや価値観を形成する場作りが重要になってきます。その意味で、市民活動はシチズンシップ教育の実践の場である、という見方をしていくことが必要ではないかと思います。シチズンシップ教育の中には、ボランティア活動を強調する部分と、政治活動・政治参加を強調する議論があり、私は後者の政治活動に焦点を当てた議論をしていくことが重要ではないかと思います。このように「NPOと政治」の議論を、シチズンシップ教育という新しい課題に通じるものとして考えることも必要なのではないかと考えています。

 

三木 由希子氏(NPO法人情報公開クリアリングハウス 理事長/認定NPO法人まちぽっと理事)

私たちの団体の前身は、1980年に設立された「情報公開法を求める市民運動」です。当時は情報公開という言葉は社会に定着していませんでした。政府や自治体の情報のほとんどが非公開だった時代に、その批判だけではなくて情報公開という概念を持ち込んで新しい社会的仕組みを作ろうとした活動は、まさにアドボカシー活動だったと思います。また、情報公開制度は請求権を付与する仕組みなので、請求権を行使する市民がいないと情報公開自体が進みません。情報を得るために主体的に行動する、「自立した市民」が重要という考え方を当初から持っていました。法律を作るための市民運動としてスタートしていますので、1995年の情報公開法の制定を機に組織改編を行い、99年に現在の形態となりました。

情報公開クリアリングハウスは、公的機関における市民の知る権利の擁護を目的に活動してきました。私たちは「こうすべきだ」という議論の前に、調査研究や具体的に何が問題なのかの論定設定を必ず明確にしています。私たちの活動分野は、行政機関や政治と対立しやすい要素が多分にありますので、進め方を間違えると話が止まってしまいます。そのため、「論点をどうするか」、「アジェンダをどう設定するか」、「いま何をやるべきか」という選択に時間をかけます。その上で、分かった事実をもとに問題を解決するための政策提案をしますし、ロビー活動もします。そして制度が出来たらそれを自分たちでも使い、使う人を支援する、そしてそこに問題があったら、また市民の権利が拡充するように調査研究をしていく。基本的にはこのようなサイクルで動いています。

政治と法律については、「政治は何か」ということがそもそもの問題としてあると思っています。法律では、「政治」という言葉はあまり使われていません。NPO法のほかに「政治上の主義」が用いられている法令は、公職選挙法、破防法、振込詐欺救済法命令などです。「政治的中立」が用いられている法令は、憲法の改正手続に関する法律の他は、地方公務員法など基本的には公務員に関連する法律です。そのためNPO法がここに入っていること自体、かなり違和感があります。政治を考える際には、いまの法律の中で捉えるのではなく、もう少し議論の幅を広げないとどんどん窮屈になるのではいかと私は考えています。

またNPOと政治という議論をする際に、「何を政治と定義しているのか」が分からなくなる場面があります。それぞれが独自の考えや経験則をもとに、あるいは誰かから聞いた話をもとに議論するからだと思われます。例えば、「政治」とは議員のことなのか、それとも議会か、政党か、政治団体か、政治システムか、有権者か、圧力・利益団体かなど、いろいろあります。私自身は、市民社会という括りで議論することが多いので、政治は「社会」なのではないかと思います。その中で、市民社会という存在が政治の中で重要なファクターを担っていると位置づけています。

重要なのは、政治に関わる際に「誰の利益を代弁するのか」ということです。近年、報道やニュースのレベルで問題になっているのは国益と公益の対立であり、時に政治的利益もその対立に含まれます。NPOが市民社会に置き換えられるのであれば、それは公益を代弁していることになるのでしょうか。NPO側が自らを位置づけて発信することが、根本的な部分でとても重要だと思います。情報公開クリアリングハウスは、国益や政治的利益に、ある意味で噛み付くような活動をしているわけです。そのため活動がどう公益を代弁しているのか自分自身で整理し、説明できるようにしておかなければ対立を生み出し、どんどん発言の幅が狭くなってしまいます。NPOが市民社会の一員として何を体現するのかという部分は、活動分野や内容によってそれぞれ違いがあると思います。それぞれのNPOがどういう違いがあると認識しているのか、もっとNPOの間で議論しても良いのではないかと思っています。

情報公開クリアリングハウスは与えられた権利を活用し、タイミングや立場によって常に現実的な選択をする必要がありました。その中では、「何を争点・論点とするか」というアジェンダ設定が最も重要でした。制度の制定なのか改正なのか、それとも反対なのか、調査研究の内容や対象をどうするのか、どのような手段で争点化するのかなどです。意外と重要なのは、表向きの争点とは別のバックアップの裏の争点(ここだけは実現したい、ここは削れるなど)を持つことです。例えば情報公開のアジェンダは、「非公開がおかしい」ということになりがちですが、請求を誰かがしないと進まないので、請求者の立場では「非公開がおかしい」だけではなく、「請求者にとって使いやすいものにする」ことを別のアジェンダとして立てることが重要です。

もう一つ、行政や自治体は「物のいいよう」で対応がまったく違うことがあります。そのため、例えば「信頼性を高める手段として情報公開を前向きに捉えましょう」という働きかけをすると、法律の改正がかからない運用レベルでは割とすぐに変わることがあります。その意味で、「情報公開をどのような位置で行なうのか」という位置づけを提供することも重要になります。

調査研究の例についてお話します。情報公開法の施行前に大量の行政文書が廃棄されたという噂が報道されました。破棄した資料の内容は無理でも、量であればその情報が掴めることが分かったため調査を実施しました。農林水産省が最も極端だったので例示すると、廃棄された資料は、1999年度に11,000kgだったものが、2000年に233,000kg、その後2001~2003年は20,000~30,000kgに戻っていました。この結果が、その後の公文書管理の議論のボトムラインとなり、どこから上を目指すのかというラインが明確に設定されました。この調査は情報公開法の見直しの時期に行なったので、見直しの報告書の中で「公文書管理に問題がない」とは書かせなかった。そして「公文書管理に課題がある」ということを報告書に書いて、次のステップに進むことになりました。

特定秘密保護法については、私は一般的な反対とは違う反対をしていました。秘密保護の仕組みは法律上すでにあり、「情報の非公開」がいろいろな構造になっていることは分かっていました。これは、そこにさらに秘密保護法制を作るという話であり、「法案の提出に反対が出ることは分かっていて、それでも出す」ことが政府の方針でした。そのため「反対をしながら、削る部分を全部削ろう」と思っていました。例えば、防衛秘密という自衛隊法に基づく既存の法制度は文書管理法から外れていて、資料廃棄のコントロールがないことが調査の結果分かったため、その事実を法案が出される前に報道で書いてもらい政治的争点にしました。その結果、そこに公文書管理法を適応しますということになり、廃棄は一般の行政文書と同じコントロールをすることになりました。ベースラインをここではめたわけです。廃棄については先ほどの大量廃棄が効いていて、「放っておくと秘密文書も、このようになるよね」という意見には誰も否定が出来ないので、そのまま公文書管理法の話に持っていったわけです。

このように、「何を論点として選択しますか」ということが、NPOが政治と向き合う上でとても大事なことだろうと思います。

 

グループディスカッション1

「自身の活動、考えている内容、問題意識」、「日本におけるNPOと政治の関わりについて本来あるべき姿のイメージ」をテーマに、ワークショップを行なった。

 

 

 

【グループC】

NPO法人自体が政治に無関心になりすぎてしまっているのではないか、という所から議論を始めました。無関心は一般市民の政治家不信の問題と関わっているのでしょうが、頑張っている議員のことを知らない方が多いのでそのことを知ってほしいという意見が出ています。NPO法人について言えば、18年間積み上げてきた蓄積が、良い悪いと簡単に切り分けることはできないだろうし、線引きも簡単にはできない。メディアについて、政治の不祥事だけではなく、もっと他の重要な議論を放送すべきなどの意見が出ました。

 

【グループB】

性的マイノリティのテーマから話が展開しました。アメリカで最近学生生活を過ごした方からは、支援的ではない条例が出来ている州があり、それに対して行なう学生や地域の人の反対する行動についてお話いただきました。またイギリスでは市民が第一にあり、次に行政があって市民へサービスを行い、最後に企業があるという考え方がある。それが日本では逆になっていて、特に市民が弱すぎるという話題になりました。

差別が多い国は、災害にも弱い国であるという指摘もありました。災害時に女性を含めて社会的に弱い立場に置かれている人たちが、さらに困難な立場になることが起きているので、平常時に災害時を含めていかに暮らしやすい社会にするかということが、いろいろな立場の人たちと協働できる鍵なのではないか思いました。

 

【グループE】

政治への自由な参加がこれからの在り方として理想ですが、NPOにとっても市民にとっても政治との関わりはハードルが高く感じてしまう、具体的な道筋がわからず未開拓な印象があるという意見でした。またNPO同士だと盛り上がっても、話が通じない他者との議論を嫌がる傾向があるのではないか、内輪の盛り上がりだけではダメだろうという意見もありました。

政策を立ち上げていく時には、公共性や妥当性などの優先順位を意識しながら進めていく必要があるのだけれども、NPOの人と希望する政策の話をすると「単なる個人の要望なのでないか」と感じてしまうこともある。一方で、個人の「困ったこと」の集積が社会的な問題となるので、そのバランスを取っていく必要がありますね、という話になりました。

正しいことを言っているのに、と相手を捻じ伏せるのではない議論に脱却していく必要性がある。NPOは社会参加の受け皿であるべきなのに、そこが弱い。NPO側が寄付文化を主体的に作っていく必要があり、行政からの委託を下請け的こなすことに休眠預金の資金が活用されるようになれば、足元をすくわれかねない。しっかり行政等との関係性を考える必要がある。他には、個人事業主的なNPOが多いので、もっと組織化していくべきだという話がありました。

 

【グループA】

議論の中心は、言論をいかにNPOの仕事と役割にするかということになると思います。NPOが人権を守るには、政治をやらなければならない。政策提言に留まらず、きちんと制度化していくことが重要です。その際に、アドボカシー、言論をいかに動かしていくかが重要ですが、現場では「そもそもアドボカシーって何?なぜ必要?」、「なぜ我々が政策提言をする必要があるの?」という意見が多い。そこから始める必要があるという議論になりました。地方では、まだ議員に丸投げして個人的に「何とかしてくれ」とお願いするような、親分子分体質もまだ残っています。

体系的に言論をNPOの仕事とする仕組み作りのために、小さい範囲の各地域でNPOによる「政策調整会議」を作るといいのではないかという提案がありました。それは議会の中で作ることと、NPOのネットワークで作ることの両方を同時進行で行なうことが望ましい。議会については、いま議会基本条例が全国で600程できつつあるので、そこに「市民に開かれる政策づくりの場を作らなくてはならない」と盛り込むことができれば良い。その際には、NPOネットワークの事務局の存在が中核として重要になるとの意見がありました。さらに、それを都道府県や国政に反映していく政策コーディネーターの役割も議論しました。

それを作る上での困難として、第1にはNPOの認知度が地方ではいまだに低いことです。NPOが産業化していて民衆離れが起きている部分もあります。また地域では、圧力団体だと思われたり、違う系統の思考回路と言語を持っているために議員とNPOとの溝がなかなか埋まらないこともあります。第2に資金面の課題です。アドボカシーや言論に資金を出すファンドはとても少なくて、資金があるところしかそれをできない。第3に「日本全体の事なかれ・無責任主義」です。トラブルが起きないように横並びで問題提起をしていく、議員が名誉職だと勘違いするなどです。状況は厳しいですが、言論をNPOの仕事と役割にするための体系作りから始めることが必要だという結論です。

 

【グループD】

前提として一般市民が政治の主体、権利を有しているということをどれだけの人が認識しているかが重要なポイントではないかという話がありました。その上で、NPOは社会課題で困っている人の声を聞き改善する活動を行うわけですが、NPOが仲介役となって政策決定者にその声を伝えていくことが出来ていない。特に、そのような政策提言に特化した活動をしているNPO/NGOが非常に少ない。資金的にも限られているし、その活動に理解をして支援する市民の存在もまだまだ十分でないという問題があるのではないかという意見がありました。

特定のイシューについて発信はできていても、全体の構造や関係性を意識してメッセージを発信する部分がNPOは弱いのではないかという意見もありました。今後のNPOは触媒機能を担っていく必要がありますが、NPO法の「主たる目的として政治活動を行なってはいけない」という項目で、政治活動を自己規制し束縛している部分もあるという意見がありました。また、アドボカシー活動そのものへの十分な理解が不足していること、資金不足でスキルをもった人材がセクターで確保できない、育てられていないことも課題です。これについては、教育でカバーされるべきことだという意見も出ました。

最も重要な点は、NPOが政治に関わる、あるいは政策提言することによって、小さくとも何かが変わったという体験や事例が十分に共有できていない問題だと思われます。そのような共有をすることが、多くのNPOが政策提言等に関心を持つポイントとなるという意見でした。

 

第2部:ロビー活動の実例、国政と地域

登壇者

*関口 宏聡氏(認定NPO法人シーズ・市民活動を支える制度をつくる会 代表理事)
*神田 浩史氏(フェアトレードタウン垂井推進委員会 会長/NPO法人泉京・垂井 副代表理事)

 

本論

関口 宏聡氏(認定NPO法人シーズ・市民活動を支える制度をつくる会 代表理事

「アドボカシー」と聞くと、「政策提言」という日本語訳がその理由だと思いますが、政策を作って終わりだと思われがちです。しかし、政策提言は誰でもできますが、重要なのは「実現すること」です。実現するためには、特に法律制定や予算措置などの場合は、何処かしらに対してのロビー活動が必要になってきます。そのような話を今日はさせていただこうと思います。

なぜ自分がアルバイトから入ってシーズの代表になったのか、その原体験をお話するために、初公開の中二病丸出しのノートを持参しました(笑)。「学校ビオトープ~職員用提案書」というものです。これは、私が生徒会で活動していた中学校時代に作ったもので、学校の先生方に学校ビオトープの設置を提案した内容となっています。この経験が、今の活動のプロトタイプとなったのではないかと思います。

さて、今年は18才選挙権が話題となりましたが、本来、18歳、20歳になる前から民主主義を学ぶ場として「学校の自治」があるのではないでしょうか。他には、私はもともと環境に関心があったので大学生の時に市の環境委員会の公募委員へ応募もしました。先ほどの中学校でのビオトープの取組みは結果として失敗しましたが、先ほどの「小さな成功体験」のように自分自身でやってみることで、半径3mでも「自分が働きかければ、世の中を変えることが出来る」という実感を持つことができ、それがより大きな社会変革の入口になるのではないかと考えています。

なぜNPOのアドボカシーやロビーが重要なのでしょうか。昨今ではNPOによる公益的サービス提供の必要性が注目されていますが、本来はどちらも重要だと思います。サービス提供は「足し算型」、つまり自分の目に見える関係の人を一人ずつ救っていくことだと思います。これは大変重要なことですが、例えば東京にいる私が沖縄や北海道の方の支援ができるかといえば、それには限界がある。これに対して、それを一気に引っくり返す方法の一つがアドボカシーです。NPO法は正にそうで、法人法を作ったことによって現在全国で5万1千法人が活動し、財政規模を足すと1兆円、25万人の雇用を生み、6割以上が女性であり、国民の9割がNPO法人という言葉を知っている。そのように育てることが出来たことは、やはり法律というものを制定したインパクトの大きさだと思います。

シーズが取り組んでいるテーマは、NPO法、税法、最近は休眠預金などです。現在ホットな話題となっている休眠預金の活用は、NPO法が切り開いた市民立法、議員立法の流れの一つと位置づけることができると思います。実現すれば、3年後に年間500億円のお金が市民社会に流れることになります。アドボカシーとは、いったい何をするのかについてですが、休眠預金で先日行なった院内集会などメディアを通じて報道される派手な動きは全体の1~5%です。他の時間は、三木さんのお話のように調査研究、資料の精査、ヒアリング、ネットワーク参加など地味な仕事が大半を占めています。しかし、たまに行なう派手な動きがないと実現できません。そのバランスが重要です。

これからのアドボカシー、ロビー活動に向けてということでは、NPO出身の議員が国政、県政、市政などでたくさん出てきていたり、NPOという単語の認知が増えるなど、5年前と比べてもロビー活動はとてもやりやすくなっています。ただし一歩間違えると、従来型の利益団体やアメリカにあるようなロビー会社に陥ってしまいます。私は、そうならないためにもNPOと政治における何らかのルールは必要だろうと思います。そのような議論を、この場を含めて行なっていくことが重要です。あとは、より多くの市民が気軽にアドボカシーやロビー活動に参加するようになって欲しいと思います。

私は最近、NPOには「社会統合」の役割という部分もあると思っています。例えば私は喘息持ちで、アニメ好きですが、これらは富裕層にも貧困層にも関連ある内容です。これからの日本社会で、NPOには政治的イデオロギーを超えた、個別テーマによる社会統合の接合剤としての意義も増していくのではないでしょうか。

このプロジェクトのNPO法制定記録編纂の資料が今後どう役立つのかということについては、次回のテーマに予定しているシチズンシップ教育と2022年に出来る新学習指導要領の「公共」科目や、総合的学習の時間、生徒会の活動、社会教育や社会人教育などに活用できると思っています。またキャリア教育や職業教育の一つとして、NPOの役職員はもちろんのこと、遠いと思われがちなソーシャル・ビジネスやコミュニティ・ビジネスの方々、政治家や官僚、弁護士など法に関わる方々にもぜひ学んでいただいて、「このように世の中を変えられる」、「NPO法は、閣法ではなかった」などを伝えていく必要があると思います。そしてそれらが、市民社会を厚くしていく一つの重要な要素なのではないかと思っています。

 

神田 浩史氏(フェアトレードタウン垂井推進委員会 会長/NPO法人泉京・垂井 副代表理事)

私はもともと20年ほどODA政策に関わっていて、どちらかというとグローバルな活動を中心にしていましたが、いまは岐阜県の垂井町で、非常にローカルなまちづくり活動をしています。

垂井で暮らし始めて17年になります。住みはじめた当初は、京都で行なわれた第3回世界水フォーラムという大きな国際会議にかかわっていたため地域との関わりはなかったのですが、それが一段落した2003年の夏くらいに「自分の住んでいるところをもう少し知ってみよう」といろいろな方々と出会い始めました。広域合併が議論されている時期だったので、そのような議論の一端に触れるということもありました。

そのころ、行政のやっていることに賛成する人も反対する人も、二言目には『役場にお願いしに行けばええやん』、『通らなかったら、議員さんを連れて行けばいい』と、そんな話ばかりを言われることが多く「何か変な世界だなあ」と感じていました。私はODAの世界にいた時代から、閉じられたロビー活動には懐疑的でした。関口さんが、NPOの行なうロビー活動のルール化が必要だと問題提起をしておられましたが、私もそれは痛感しています。最終的に、垂井という小さな町が隣の大垣市という16万人の市と合併するという話はなくなりました。実は、一回議会は賛成で固まりました。それが住民活動で覆されたものですから、反対派と賛成派の溝がすごかったそうです。

私は、その後に行なわれた住民参加ワークショップに公募で入ったことをきっかけに、はじめて地域のことに関わりました。行ってみると私が最年少という集まりで、最初は驚きました。ワークショップではなく自己主張の場となっていましたが、最終的に残った人たちはとても熱心で「この分断を何とかするためにNPOを立ち上げようや」ということになりました。社会統合のためにNPOを使おうという方がいらっしゃったわけです。そして、京都でNPOをやっていたなら申請をしてくれといわれ、申請をしたら事務局長を務めることになりました。すごい世界です。NPOを立ち上げる時に、私は一つだけ「町長に提言をしたいので、その提言をNPO名で提出したい」という条件をつけました。そうしたら、集まったお爺さんたちに「筵旗(むしろばた/一揆のようなイメージ)でもあげるんけ」と言われました(笑)。そこから私の地域での活動はスタートしました。

状況が好転していくのは、自治基本条例を作ろうという動きが出てきてからでした。これも地域社会の統合のために行なうという色彩が強かったと思います。垂井町で始めたときには、まだ岐阜県内の町村に自治基本条例は1つもありませんでした。2008年に自治基本条例策定委員会が発足し、公募委員を募集したので喜んで手を上げました。初回の会合に行ったところ、委員長は大学教授と決まっていて、副委員長にはNPOに詳しいという理由で私が推薦されました。初回から「他所から来た若いやつがなぜ副委員長なのか」と大荒れの場面もありましたが、結局、なぜか多数決で勝ってしまい、私が副委員長をやることになりました。

委員長から「私は町外の人間なので、地域の取りまとめをしてください」といわれ、自由にやらせてもらえるのならということで、策定委員会では傍聴席から書面での意見表明、議事録の公開などを徹底しました。町内放送があるのですが、今日は何時から策定委員会をやりますということを放送して傍聴にきてもらったりもしました。条例の前文を私たちが書き、1年半かけて条例案を町長に提出し、議会では全会一致で可決されました。町の自治の最高規範を、住民自身が作るという良い経験を皆ですることができました。

条例が出来た際の合言葉は、「条例制定は出発点にすぎない」ということです。そして、まちづくりセンターの発足、まちづくりフェスタの開始、審議会や協議会の発足などが進みました。2万8千人という小さな町ですが7つの旧村から出来ているので、地区ごとに「まちづくり協議会」を立ち上げたことが、住民主体のまちづくりを進めるきっかけになりました。5年経って動き始め、まちづくり協議会がそれぞれの地区の特色を活かすようになり始めました。例えば、山間の地区の大きな問題は獣害です。40年程前に住宅が出来た地区では、中途半端な都市化が進み「空き家問題」も出てきました。

その他には、工場地帯ではブラジルの方が多く働かれているので、ポルトガル語による生活相談窓口を開設しました。当初、役場の方からは「役場に来る相談件数が少ないので、そんなにニーズは無いはずだ」と言われました。私たちだけでは変わらないと思ったので、岐阜県の国際交流協会と協働事業を始め、さらに県の国際交流課を巻き込んで役場に話をしました。「1年目はNPOが相談員の人件費を負担するから」と言って何とか窓口を設置するスタートでした。実際に設置したところ相談件数が急増、福祉関係や学校関係などのニーズが可視化され,役所の窓口の人にも喜ばれました。

このように10年前に作成した提言から現在を検証すると、かなりのことが実現できたと思います。

私は、NPOは変革の「触媒」であり、「主役・主体は地域の住民である」と自制、自覚することが重要だと思っています。ODAやグローバルイシューを扱っていたときは、当事者ではなく政策に関わるという立場でした。しかし地域の場合は、触媒でありながら一方で住民の一人という当事者です。その兼ね合いの面白さと難しさがあります。

条例を作るため地域へ説明に回っている時に感じたことがあり、それを私は「土着の民主主義」と呼んでいます。とかく欧米と比較しがちですが、宮本常一の「忘れられた日本人」に記述されているような、意思決定を地域の人たちでとても丁寧に行なう集落が私の住んでいる町にもいくつかあります。中には悪しきボス支配という地域もありますが、男性女性に関わらず意思決定にきちんと参加することを伝統化している地域があります。このようなことを拾い集めることが、私はとても大事な作業だと思っています。

NPOだけで集まっていると、同じ考えの人が多いですから「心地よい合意形成」になるけれども、広がりに欠ける。地域には多様な考えの人がいるので、合意形成に至るまでが非常に大変ですし、心地よくない。しかし、私はそれを超えていくことが大事なんだなと思います。一方で、地域では一足飛びに行こうとすると足元をすくわれることがあるので、半歩ずつすり足で進むことも重要です。

国際協力に身を置いていた自分としては、海外の資源を収奪して社会を作ってきた我々はどうすればそれを変えることができるか、ということを常に考えてきました。日本の地域社会には多くの資源があります。その資源をうまく循環型で使っていくことで、とても豊かな社会を作ることができると実感しています。そのためには、アドボカシーがとても重要になっていくと思っています。

 

グループディスカッション2

「NPOと政治の関わりを積極的に展開するためのポイント、またはボトルネックは何か」をテーマに、ワークショップを行なった。

 

 

 

 

【グループD】

関口さんと神田さんのお話は、アドボカシーの現場が違うので「作法」もずいぶん違うと感じました。神田さんの実践は、まさに「by the people」でした。外来のコンセプトで始めるのではなく、実は脈々と受け継がれてきた土着の合意形成のプロセスを大事にすることの重要性が印象に残りました。それに対して、現場から離れたところで行なう「by the people」の活動は難しい。そこでは、プロフェッショナル・ロビイングの役割が必要になってくる。そして、その両方が連携しないと効果的な発言にはつながらないという意見がありました。小さな地域コミュニティに限らず、多様なステークホルダーがまったく違う利害を持っている場所で、しっかりと丁寧に議論を重ねていくことによって、本当に物事を変えることができる。その追求を諦めるべきではないという意見もありました。

また行政への提言がクレームと受け止められてしまうことが多い、そこを何とかする必要性がある。そのために市民が行なうアドボカシーへの理解やスキルアップができる体系的な学びの場、例えば神田さんの行なわれている「あどぼの学校*」のような取り組みが重要であり、そこを通じて成功体験を重ねていけば、理解やスキルが身につき一般化していくのではないかという意見がありました。

*あどぼの学校
http://adobono.strikingly.com/

 

【グループA】

NPOは日々の業務に埋もれるのではなく、意識の醸成が重要なのではないかという意見がありました。他に、政治活動の経験のあるNPOとのノウハウの共有、議員の人物情報の共有も重要だということでした。市民社会にはNPOだけではなくて協同組合などの他にも様々な組織があります。現在は十分に連携ができていない状況ですが、地域の多様な主体と協同することも課題だと提起されました。その間にある人間的な信頼性を、お互いの関わりを通してどう身につけていくかも重要です。

「人作り」として「政策コーディネーター」が地域レベルで職業化されること、「仕組み作り」として議会と地域の両方において市民参加型の政策調整の場、学びの場を制度的に作っていくこと、「環境作り」としてシチズンシップ教育の体系化と連携が重要だということになりました。すぐにでも着手できることとしては、今日の日本型土着民主主義のお話であったり、NPOの政治性という報告事例など、そのような情報を若者等と共有することがあると思います。

ボトルネックとして提起されたのは、主には「人を支えるお金がない」ことでした。アドボカシー専門の基金がいま非常に必要とされていています。政策のニーズやネタはあっても、とにかくお金の出所がないことが問題です。もう一つは、議員さんは特にそうなのですが利害関係に左右されるということです。現実的に、妬みや僻みや人任せなどはムラ社会とも関係があり、また役職を名誉職だと思っている人も少なくない中で、人を動かすことが大変だという意見も出されました。

 

【グループE】

ロビー活動やアドボカシーの議論をする前に、「市民」や「NPO」そのものの議論が必要ではないかということでした。もう一つは、NPO内での議論も大事だということです。それは、NPOの組織のガバナンスや決定のプロセスにも関わってくるという話がありました。

また、地域にはそれぞれの実情に合ったやり方があるという意見もありました。地域では絶対の正解というものなく、議員と行政の関係、NPOと行政の関係、NPOと議員との関係などは自治体ごとに違うので、その場の実情に応じて選択することが重要ではないかということです。また、誰がロビー活動をするのかという課題が挙げられました。リソースが限られている中で、個々のNPOがロビイストを調達することが現実的なのか。中間支援的な存在がそれを担ったり、あるいはリソースを集中することで対応するなどの考えもあります。ただし、一つに大きな力を集中させることになるので一定のルール化が必要だという話も出ました。

ロビー活動の前提として、「政策を学ぶ」ことと「政策を作っていく過程をウオッチングする」ことが大事なのではないかという話もありました。このことは、自治体や地域になればなるほど、むしろ国政以上に大事かもしれないという意見でした。

 

【グループB】

共通して出たキーワードは、社会統合でした。というのは、NPOの存在がマイノリティの代弁だけになってしまっていないかという疑問があるからです。社会に対して立場表明をしないといけないのは、現在多数派である人も同じはずです。いま多数側にいる人であっても、震災などでいつでもマイノリティに立場が変わることはあり得ます。多数の側にいるから、立場表明をすべてマイノリティの側にいる人に任せてしまうことは良くない。そのため、全ての人がコミュニティの一員だという意識を持って政治参加をしていくとともに、マイノリティ‐マジョリティ、NPO‐一般社会のような二項対立ではない議論をする場所がなければ、NPOと政治の関係性は強まらないと思っています。

具体的には、自分も公共の担い手であるという意識を持ち、他人事ではなく自分自身の問題だと捉えて、議員レベルでの立候補でなくても、例えば農協、漁協、自治会などいろいろな形で自身が可能な立場表明を行なうことが重要だと思います。そのためには情報をオープンにし、論点を明らかにすることが必要になっていくと思います。

 

【グループA】

NPOのみならず、市民の政治への関わりが十分ではない。それは公職選挙法が厳しすぎて選挙が面白くなくなっている制度的な課題でもあります。公務員や高校生の政治規制なども課題と考えます。意見として、政治参加により村八分になる恐怖感や、話し合いが十分にできない課題なども出されていました。またアドボカシーを行なうには資金が必要なので、自分たちで政治を良くしようと思えばロビイングにカネを出さないといけない。好きな政治家に募金することなどを含めて、自分たちの望む政策の実現をお金で支える活動もしないといけないという話になりました。

市民教育という面では、市民が主体的に意思決定に参加していくために、NPOが社会に対して情報提供をしたり、意識を進化させていくための情報を出していくことが必要という意見がありました。また、日本NPOセンターなどの日本の中間支援組織が、イギリスのNCVO(ボランタリー団体全国協議会)が「私たちは、このような政策を実現して欲しい」という選挙政策を出しているように、実現したい政策を公表したら良いのではないかと思います。それは選挙活動ではなくアドボカシー活動であり、このような形でNPOの中間支援が先頭になって政策の実例を示していくことも必要なのではないかと思います。

 

さいごに

司会 最後に登壇した方からお一言ずつお願いします。

 

関口氏 最後は我々の活動のPRをさせてください。日本では所得(フロー)ベースの寄付税制整備は進みましたが、不動産や株式、美術品などの「資産(ストック)寄付」は寄付者に課税されるという問題があります。この部分を変えるためのロビー活動を、これから3年ほど行っていく予定です。その活動を進めるために、ぜひ寄付をお願いします!

三木氏 一口にロビーやアドボカシーと言っても、皆さんそれぞれの活動から見えている世界が違うはずです。その違いを互いに出し合って議論すれば、お互いにもっと学び合えることがあるのではないかと思いますので、またこのような機会を持つことができればと考えています。

神田氏 お金のことについては、NPOが公的資金を使うことに皆さん躊躇しすぎているのではないかと思っています。私がNGOに関わりだした時代、上の世代の人たちには「ODAのお金なんて使うもんか」という傾向がありました。逆にいま、下の世代を見てみると市場志向性が強すぎるように感じます。あたかも市場性を志向することがNPOだという感もありますが、逆ですよね。市場でサービスが提供できないからNPOが必要なのに、なぜNPOが市場を志向しなければならないのか。それを考えると、公的資金をNPOはどう使うのかという議論をしていく必要があるのではないかと思います。

そのためにも、ネットワークを作っていくことが大事だと思います。「あどぼの学校」をやってみて、関西に比べると東海地方は少しアドボカシー機能が弱いと感じていましたが、今年G7の伊勢志摩サミットに市民サミットができたことで、東海市民ネットワークが誕生しました。三重、愛知、岐阜でのNPO/NGOによるアドボカシーネットワークです。また、「あどぼの学校」を重ねてきたことで関西でもアドボカシープラットフォームを作ろうという動きが出てきています。岐阜はこの2つの間にあるので、うまく関西と東海をつなげる形で結べていければ、そして他の地域とも今後結んでいけたらと思っています。

坪郷氏 NPOと政治の問題の基盤は、市民と政治にあります。その上でNPOは政治に対してどのようなアプローチをするのかということが、一つのポイントだと思います。NPOは社会変革の担い手であるといわれますが、本日議論されたように、小さな成功体験を重ねると同時に、それを共有し広げていくことが必要です。そのためにも、「学びの場」がとても重要なのではないかと思います。また、私たちは多様な市民の人権を大事にする社会を実現出来ているのかということが、この間の大きな疑問として議論されてきました。社会統合というキーワードもありましたが、一人ひとりが参加できる状況を作った中で、どう社会統合できるのかということが重要なのではないかと考えました。

三木さんが言われたように、「政治とは何か」ということについて皆さんの意見はそれぞれ違ったと思います。「政治と何か」という議論を互いにしながら、それを深めることができれば、そして日本語に訳しにくい言葉ですが「アドボカシー活動」を日本の中でどういう概念として確立していくのか、さらには「ロビイスト」とは誰のことを指すのかなどを、今後議論できればと思います。

このプロジェクトの次回のテーマとして、シチズンシップ教育を予定しています。シチズンシップ教育に関しても皆さんからいろいろなご発言がありましたので、それを踏まえて第4回を開催したいと思います。次回もぜひご参加ください。

事務局)奥田 本日は長い時間ありがとうございました。途中アドボカシーと資金の話がありました。認定NPO法人まちぽっとは、アドボカシー活動を支えることを目的とした市民基金「ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)*」を2011年に設立しました。これまでに、市民の資金をいただきながら日本で社会提案型の活動をする複数のNPO団体を支援してきました。この試みを広めていくため、皆さまからのご寄付をお願いしています。SJFの活動については、ぜひHPや資料をご覧になってみてください。

*ソーシャル・ジャスティス基金
http://socialjustice.jp/