連続企画第2回は、社会課題をそれぞれの手法で解決している「現場の団体」をお迎えしました。東日本大震災の津波到達点へ桜を植樹する活動を行う「認定NPO法人桜ライン311」、路上生活者が雑誌販売することを通しての自立支援を行う「有限会社ビッグイシュー日本」、松山市で地域社会からセクシャルマイノリティへの偏見をなくす活動を行う「レインボープライド愛媛」、児童労働の撤廃と予防に取り組んでいる「認定NPO法人ACE」。それぞれ独自の手法で社会課題の解決に取り組み、大きな成果を出してきた活動の紹介に加えて、市民社会の現在とこれからについてお話しいただいています。
*肩書きは開催当時
第1部;NPOセクターの現在の到達点 -様々な分野で先端の活動をしているNPO
岡本 翔馬氏(桜ライン311 代表、事務局長)、佐野 章二氏(ビッグイシュー 代表)、エディ氏(レインボープライド愛媛 代表)、岩附 由香氏(ACE 代表)
第2部;パネルディスカッション「NPOの視点から、市民社会の未来を考える」
岡本氏、佐野氏、エディ氏、岩附氏、奥田裕之(まちぽっと事務局長・司会)
- 日時:2016年10月11日(火)18:30~21:00
- 会場:文京シビックセンター 4階ホール
第1部:「NPOセクターの現在の到達点 -様々な分野で先端の活動をしているNPO」
登壇者
*岡本 翔馬氏(認定NPO法人桜ライン311 代表、事務局長)
*佐野 章二氏(有限会社ビッグイシュー 代表)
*エディ氏(レインボープライド愛媛 代表)
*岩附 由香氏(認定NPO法人ACE 代表)
本論
岡本 翔馬氏 (認定NPO法人桜ライン311 代表、事務局長)
私は現在33歳です。震災までは東京の建設系の会社で働いていましたが、東日本大震災が大きな転機となり、故郷へ戻ってNPOを立ち上げて現在に至っています。仮設住宅や避難所など、震災の緊急支援が落ち着いた時期から、これからのまちづくりに若い世代がどう関わっていくのか等をテーマとして、いくつかのNPOに関わっています。
陸前高田市に限らず三陸沿岸は、30年から50年くらいに一度くらいのスパンで地震や津波の被害を受けていたので、震災前にもある程度は地震および津波に対する知識がありました。しかし、今回の津波は1,100年に1回の規模だと判明しました。その報道を見た時に、直接的な言葉になってしまいますが、陸前高田市の出身者として「悔しい」と感じました。もしも、この規模の津波に襲われるということが分かっていたら、もうちょっと真面目に逃げたんじゃないか、死ななくてすんだ人はきっといたはずだとも思いました。
1,100年前の津波の被害は、私たちには引き継がれなかったわけですが、次の1,100年後の人たちには引き継がなくてはいけない。そう考えたときに、私たちは器材も何も必要の無いかたちで先の世代に引き継ぐ方法として、「今回の津波の最大到達地点に桜の樹を植えて、未来に残す」という手法を選びました。最大到達点に桜並木をつくることで、1,000年先に津波が来た時には桜よりも上に逃げてもらい、そうすることで次の世代の命を守ろうという活動をしています。
先の未来を考えて始めた活動だったのですが、実際にやり始めてみたところ予想外のこともたくさん起きました。その一つに、支援をする方々と地域の皆さんが自発的・有機的につながり始めて、とても良い人間関係を構築したということがあります。桜を植える活動は「植樹会」と呼んでいて、これまでにトータルで3,000人以上が参加くださっています。その場では、「桜の木を植えて良いよ」言ってくれた地域の方と支援のために植樹に来た参加者の方が出会い、まず震災の際の記憶の共有から関係性が始まり、そこから支援する側/される側という関係性を超えた対等な人のつながりが生まれるケースが多くなってきました。当初の活動目的にはなかった成果なのですが、とても嬉しいことだったと同時に、このためにも活動を始めてよかったと感じました。
また、未来に桜の木をどのように残していくかということも考えています。人の寿命は85年ほど、今回の震災を経験した人は60年後にはゼロになっています。しかし桜の木の寿命は平均で300年、500~1000年残る場合もあります。人はいなくなっても桜は残るわけです。私たちの植えている桜には、次の震災で同じことを繰り返さないための記録としての意味合いがありますから、植えている私たちからするとあまり明るいイメージではありません。満開になったときに綺麗だなと思っても、この桜の下で花見をしたいとはあまり思えません。
しかし、今はそうかもしれませんが、この経験をしていない未来の人たちに、桜並木をどのように位置づけてもらうか考えておく必要があると考えています。ただ「悲しいだけのもの」は、人にあまり愛されないのではないかと思います。桜の木は本来、満開になったときの華やかさと散る時の儚さを兼ね備えるものだと思っています。何百年後と時間が経過したときには、陸前高田を「津波の被害があった町」ではなく「桜の町」にしたい。まずは観光として訪れてもらい、なぜ桜の町なのかというところから過去の被災を知ってもらう災害史の伝え方があってもいいのではないかと考えています。
災害の伝承を行うポイントとして、1.地域の人たちが活動にいいねと言えること、2.そこに地域外の多くの人を巻き込むこと、そして一番難しい部分ですが、3.その両者がずっと関わり続けること、の3つが重要だと思っています。
法人格の選択という視点も、ここにあるだろうと思います。私たちは、設立した時から認定NPO法人難民支援協会さんに大きな力を貸していただき、認定NPO法人の取得を前提に設立しました。結果から見て、それは正解でした。NPOは、「共感」や「関わり」を組織の力につなげることができる部分が非常に秀でていると思っています。その恩恵を最大限利用したいと思ったときには認定NPO法人が有効だと思います。そこに必要な高いレベルでのアカウンタビリティについても私たちは肯定的に捉えていて、意識して情報公開と説明責任を組織として持つよう心掛けています。これをハードルと捉えるのか、目的達成のために必要な仕組みだと考えるのかには大きな違いがありますが、私は前向きに後者で考えるようにしています。
今日のテーマの一つである「活動で社会がどう変わったのか」については、正直なところ私たちのミッションである「震災の記憶の風化を防ぐ」という観点からは、まだ成果が出ていないと思います。震災から5年しか経っていませんし、復興も道筋の途中だということもあって、そもそも東日本大震災がどういうものだったのか、日本としても市民社会としても包括的な結論が出ていません。また結論は出ないものだとも思います。桜ライン311としても、震災の風化の防止を担うというテーマは少し大きすぎる。植樹は目標である1万7000本というゴールにはまだ10%にも満たない状況です。しかし、地域の方と支援者の交流や若い世代の参加など、社会全体というマクロの単位ではなくミクロの単位での良い結果は少しずつ積み重ねられているのではないかと感じています。
成果がまだ出ていないという判断の下で次のステップを話すことはおこがましいのですが、成し遂げたい目的に向けたアプローチをする際の私たちの進め方は、あきらめずに動き続けること、そして多くの人を巻き込むことだと思っています。その一つの手段として、多くの人に伝えるために私が団体のビジョンの体現者としてお話をすることも必要だと思いますし、NPOとしてプロフェッショナルになる必要があると思っています。そして、そのような姿を見て一緒に活動する仲間が増えていけば最高だなと考えています。
市民社会はそのような積み重ねによって生まれていくものだと思いますし、常に前線、矢面に立っていることで社会を変えていけたらと思っています。
佐野 章二氏 (有限会社ビッグイシュー日本 代表)
今回の登壇者の中ではビッグイシュー日本だけが有限会社ですが、同時に認定NPO法人ビッグイシュー基金も4年遅れでたちあげ、私は両方の代表を兼務しています。今日のテーマはNPOが社会の変革にどのように関わるかですので、その方法論を含めて問題提起ができればと考えています。それは一般論ではなく、自分たちが、活動を通してどう社会変革に関わっているのかということかと思います。
私は、大学を出てすぐは大学職員をしていたのですが大学闘争があって教員や学生との意見の食い違いから辞め、その後はまちづくりコンサルタントなどをしていました。NPO法については、当初はイギリスのチャリティが日本に合うのではないかとイメージしていましたが、NPOは制度がシンプルなところがいいと思い、法制定の際のお手伝いもしました。2001年に60歳になり、定年の余裕(?)で、一番解決の難しい社会問題はなんだろうか?と考えました。(有)ビッグイシュー日本の設立は、2003年5月です。設立の動機は、少し格好を付けていいますと、社会変革の実験をやるとしたら当時問題になっていて、解決が一番難しいと思ったホームレス問題に取り組むことが、「急がば回れ」で一番早道なのではないかと思ったのです。
法人格の選択のメリットとデメリットについては、設立した2003年当時と現在では事業組織の法人制度がとても変わりました。ですから、そういう意味合いではNPO法人であることの理由も小さくなってきています。これを前提にNPO法人の議論をしないとアナクロ二ズムになります。いまは事業組織の選択は、当時ほど大きなテーマではなくなっていると思います。
それを踏まえて、なぜ当時、現在は制度としてなくなってしまった「有限会社」を選択したのか? その1番目の理由は事業を大きく展開したいということでした。事業を大きく展開すれば、それだけ多くのホームレスの方の仕事をたくさん作ることができます。次に、ビッグイシューは雑誌を月に2回発行していて、これにはスピードが必要となります。2番目の理由は機動性が必要だということでした。3番目は結果を早く出したいということでした。この雑誌を作るにはとてもお金がかかります。立ち上げの時にどのくらい費用がかかるかビジネスコンサルタントに聞いたところ、5,000万円の用意が必要だといわれました。5,000万円なんて夢のまた夢でしたが、それでも2,000万円を集めました。しかし、それでは半年活動したらなくなってしまう。そのような性質の仕事なんですね。駄目なときは駄目なので結果が早く出る。そういう意味でも事業会社組織の方が向いていると考えました。
それに対してNPO法人の特徴を同じように3点でいいますと、1.社会的な必要性、2.社会的な正当性、3.新しい公共性だと考えています。私たちも2007年には、NPO法人ビッグイシュー基金を立ち上げました。
ビッグイシューでは350円の雑誌を月に2回発行しています。これは、ホームレスの方しか売れない独占販売です。そうしないとホームレスの方の仕事がつくれませんし、彼らに選択できる仕事もありません。私たちはホームレスになる原因は仕事が無いことだと考えましたので、では仕事を作ろうというシンプルな発想で雑誌つくりを始めたわけです。1冊350円の売上のうちの半分以上、180円が販売した人の収入になり、その販売を繰り返しながら自立への道歩んでもらうというのが事業の仕組みです。雑誌はいろいろなテーマを扱い、とてもバラエティに富んでいます。一般の人が面白いという雑誌を作らないとホームレスの方の仕事になりません。編集部は4人で、大阪で月に2回がんばって作っています。
到達できたと思える社会的成果は3点ほどあると思います。1つは、市民の路上生活に対する意識が少しは変わったのではないかということです。現在は全国で123人が、南は鹿児島から北は札幌まで販売をしています。「あの人は何をしているの?」「実はホームレスの人なんですよ」「ホームレスの人も働くの?」ということで、ホームレスの方に対しては本人が怠けてホームレスになったという認識を持つ方も多いかと思います。しかし、少なくともこれまで13年間、暑い日も寒い日も毎日路上に立ち続けてきた中で、日本の主要都市の繁華街ですから、たくさんの人にこの活動を知っていただけたかなと思います。これまでの販売者数は1,681人、発行は293号、販売数は741万冊、販売者に提供した収入は10億9431万円となりました。
2つは、政府の対応が変わったということです。私たちが活動を始めた頃の路上生活者の数は25,296人でしたが、今年の1月の調査では6,235人で約1/4になっています。直接的な原因は日比谷で行った2008年の派遣村の活動で、その時に路上の人も生活保護が受けやすくなるよう政府の対応が大きく変わり、その結果として急激に人数が減りました。
3つは、NPO法人ビッグイシュー基金を新たに創設し、住宅問題や依存症問題などに取り組んだことでした。基金は、1.生活自立応援、2.問題解決のネットワーク作りと政策提案、3.ボランティアと市民参加の機会を提供、という3点を柱に事業を行っています。
最後に次のステップをどう考えているのかについてお話しします。私たちは団体として社会的な起業を行ったわけですが、これからは社会全体を考えた「シビックエコノミー」という運動を作っていく必要があると思っています。シビックエコノミーとは何かということについては、参考資料*をご覧ください。
私たちが社会を変えるためには、「機動戦」と並んで「陣地戦」、もっといえば「生活戦」が必要だと考えています。これを言い出したのは、かつてイタリア共産党をつくったアントニオ・グラムシという人でした。ここでいう機動戦というのは、代表制民主主義政治ということです。具体的に言えばデモや選挙ですね。選挙だけではだめなので、陣地戦つまり「場作り」や「仕事作り」などシビックエコノミーの運動が必要だと考えています。「生活戦」は各個人が行う日々の生活の価値や質をめぐる戦いというよりも個々人の楽しい暮らしそのものです。
その中でビッグイシューは何をするのかということでは、雑誌販売やホームレス支援(雑誌販売は全国で行っていますから機動的な陣地戦かといえるかもしれません)と基金で行う事業を通して、社会的な陣地戦の一部を分担することが役割かなと考えています。そのような位置づけで、社会変革のためにも日々の活動の質を上げていきたいと思っています。
*参考資料
報告書「シビックエコノミーの可能性」認定NPOビッグイシュー基金発行
「市民主体の経済活動=シビックエコノミー運動」
「①社会問題の解決に挑戦、②新しいアイデアを持つ、③仕事・雇用の場となる、④ボランティアや寄付、投融資で市民が参加できる、⑤他で真似ができる」(報告書より引用)
エディ氏 (レインボープライド愛媛 代表)
私たちは、愛媛県松山市で地域に根ざした性的マイノリティ・LGBTへの社会理解の促進や当事者支援を行っている団体です。以前はタブー視されていたテーマですけれど、最近は少しずつきちんとメディアなどにも取り上げてもらえるようになりました。私自身も男性の同性愛者です。松山市という自分の故郷で生まれ育ち、大学進学も就職も松山でした。ゲイとしてオープンに活動をしていますが、ただ両親の強い希望もあり、本名での活動は避けて「エディ」というニックネームを使っています。
レインボープライド愛媛は2007年に設立しました。法人格はありませんが、松山市に登録して事業報告や決算書等を提出している半分「公」の位置で活動するNPO団体です。地元の当事者の多くに「性的少数者だという声は上げられないので隠している」「故郷を捨てて外の町に出て行ったほうがいいのかも知れないけれど、何らかの理由でそれをしていない」などの事情があります。少しでも社会を変えようと思えば、当事者の声を伝えなくてはなりません。社会側からすれば、「聞いていないので分かりません」「その様な問題があるのは知りませんでした」ということだろうと思います。一方の当事者側からすれば、社会が変わってくれないことにはカミングアウトなど出来ないというジレンマがあるわけです。その中で個人ではあげにくい声を、団体を通して社会に発信していくことが私たちの活動になっています。
私たちは、「虹力(にじから)スペース」という名前のLGBTセンターとしてのコミュニティ施設を、松山市内の場所を借りて常設で運営しています。当事者、家族、支援者の居場所や交流の場となっています。そこに、地元の丹原東中学校の生徒さんがマイクロバスで研修に来てくれました。その中学校は文科省の人権教育指定校で、全国で始めて性的マイノリティの人権課題を学校あげて取り組んでくれています。私たちも最初からこの取り組みに関わらせていただき、「こうであって欲しい」と1年生から3年生までの生徒さんと先生方へアドバイスやご協力をしてきました。
以前は「学校教育の場で同性愛や性別違和について教えると、生徒が同性愛者性になったり性自認が不安定になったりするのではないか」と言われていました。自分たちは、そんなことはないだろうと思っていたのですが、その試みを行った実績がありませんでした。しかし、この学校で実際にその試みを行ない、生徒さんが「そんな心配はまったくない」ということを証明してくれました。
それどころか中学校の生徒さんたちは、性の多様性について学ぶ中で「自分も他人とは違うんだ」ということを理解し、人はみんな違うという前提のもとで「自分を認めてもらおうとすれば、人を尊重しなければならない」「皆が尊重しあわなければ、この社会は成り立たない」ということに気がついていきました。3年目となり文部科学省の人権教育指定は終わっていますが、今年も生徒さんたちは自分たちでシナリオを書いて文化祭で人権劇をする準備をしています。
生徒さんたちが地域の公民館に自分たちで出向いて、これまでの学びを学校外の人たちに話すということも自主的にやってくれています。公民館でこのような場に来てくれるのは地域の高齢の方々なのですが、生徒たちが説明した後に車座になって世代を超えて自分たちの意見を話し合っていました。お年寄りから「自分としてはこの内容は気持ちが悪いと感じる」などの否定的な意見があっても、生徒さんはきちんとそれに向き合って話をしていました。どうも生徒さんは、世代の違う人と堂々と張り合えたり、お互いの理解を深めていくことを経験して、ハマってしまったようです(笑)。その後は、他の中学校や高校、大学に行って話したらどうかなど次々にアイデアを出していました。
子どもたちは、この課題が解決するなら何らかの自分自身のマイノリティ性も大事にしてもらえる社会になるのではないか、自分自身のことも大事にしてくれる社会になるのではないかというように、この取り組みに希望を感じているようなんですね。愛媛県にこのような学校が出てきてくれたことは本当に嬉しく思っています。
他にも、松山市で映画館を借りてLGBTをテーマにした映画祭を開催したり、地域の商店街の企画にブースを出すことなどもしています。今年の8月には、地方発では初めて性的マイノリティの全国大会を愛媛県で主催する挑戦を行ないました。12の分科会を準備し、電話相談の支援方法、医療現場における性的マイノリティの扱い、性的マイノリティに関する法制度、丹原東中学校の先生や生徒さんの発表などを行ないました。どうなるかと思ったのですが、参加人数は延べで1,000人を超える方々が参加して下さいました。学校の先生や行政関係者など当事者以外の方の参加も多く、交流会もとても盛り上がりました。
最も参加者が多かった分科会は、以前に宝塚市で「性的マイノリティの理解が進むとエイズの巣窟になる」という問題発言をした議員に登壇いただき、相互理解を考える会でした。問題のある分科会だといろいろ言われたのですが、私はどうしてもこの企画を行いたいと考えていました。その議員さんは冒頭に謝罪から入りました。そして、「以前は発言のように思っていましたが、皆さんと議論を重ねるうちに考えは変わりました」とお話していました。
活動の成果による変化は、性的マイノリティが地域課題と愛媛県の人権テーマとなったこと、それにきちんと取り組む動きが生まれたことだと思います。当事者が声を上げていくだけではなく、当事者外の方までが声を上げるようになったことは大きな成果でした。
LGBT当事者として生きていくには様々な困り事があります、例えば同性婚ができないために、社会保障を受けることができないことは非常に大きい問題です。自分にもパートナーがいて、片方が亡くなった際や老後はどうなってしまうのか不安があります。この状況を変えていくために法律を変えて欲しいと思っていますが、それには国民の皆さんが性的少数者のことを理解することがまずスタートだと考えています。
岩附 由香氏(認定NPO法人ACE 代表)
皆さんは「持続可能な開発目標(SDGs)」をご存知でしょうか。2030年までにどのような社会でありたいか国家元首が国連で合意した文書です。その中に、「我々は貧困をなくすことに成功する最初の世代に成り得る、または地球を救うことの出来る最後の世代かもしれない」という言葉があります。
SDGsは持続可能な社会を目指すために、これからの15年で何をすべきか目標設定したもので17の目標と169のターゲットがあります。その中に、2025年までにあらゆる児童労働を撤廃するという野心的な目標が入りました。目標が入ったことはとても良いのですが、現在世界に1億6,800万人存在するといわれている児童労働者をあと9年で0人にするには、今までのやり方とは違う方法でイノベイティブに進めないと達成できないと思っています。
皆さんの身近にある物が、児童労働によって作られているという報告があります。チョコレート、Tシャツ、サッカーボール、砂糖、コーヒー、携帯電話に使われるレアメタル、漁業、油になるパーム椰子など、児童労働は実は私たちの誰もが関わっている問題です。児童労働の定義を簡単にいうと「15歳未満の義務教育年の子どもの違法な労働と、16歳・17歳の子どもが禁止されている有害労働につくこと」です。児童労働の最も悪い影響は、それによって子どもの可能性や未来が奪われるだけでなく、貧困の世代間の固定化や、負のループにつながり抜け出せなくなってしまうことです。世界では5~17歳の9人に1人が児童労働従事者とも言われており、地域別で見ると人数はアジア・太平洋地域が最も多く次にアフリカ地域です。地域内の子どもに対する児童労働の割合が最も高いのはアフリカで、5人に1人となっています。分野では農業が一番高くなっています。
児童労働が起こる原因は、需要と供給があるからだと考えています。供給側の子どもを労働に押し遣ってしまう家庭には、裏側に貧困や地域の労働者の低賃金などがあります。一方で需要側は、そもそも児童労働を前提にしたビジネスが成り立っていることが問題だと思っています。背景には、その地域で抱えている課題、学校教育へのアクセスの問題、子どものための財源や政策プログラムの不足、あるいは親が自分も子どもの頃から働いていたから当然だという考えなどがあります。
それらに対してACEが行っている活動は、アドボカシー、現地における支援、日本での消費行動や企業行動を変えることです。ここで一人、私が出会った児童労働の少年の事例をご紹介します。彼は6日間働いても5日分の給与しかもらえず、仕事に失敗するとタバコの火を押し付けられることもありました。同じ労働をさせられている仲間の中には、親に相談して働かせている人間に文句を言ったところ、次の日に殺されてしまった子もいたということでした。彼に夢を聞いたら「なるようになるよ」と答えていました。このように児童労働は子どもの将来の夢や希望を奪うものなんです。
簡単に自己紹介をさせていただきます。私が児童労働の問題に出会ったきっかけは、大学生のときにアメリカ留学から戻る前の旅行でメキシコに行った際、子どもの物乞いに出会って「お母さんがすぐ横にいるのに、何で子どもにこんなことをさせるんだろう」と思ったことでした。
ACEは1997年に学生5人で発足し、来年で20周年を迎えます。設立のきっかけは、「児童労働に反対するグローバルマーチ」という世界的なムーブメントでした。その日本開催を呼びかける手紙を関心ありそうな団体に送ったのですが、どこも行なわないということだったため自分たちで開催しようと立ち上げた団体がACEです。この企画を東京と大阪で開催したら団体は解散するつもりでしたが、いろいろあって現在も活動を続けています。このムーブメントの創設者のカイラシュ・サティヤルティ氏は2014年にノーベル平和賞を受賞しています。
ACEは「自分たちだけではこの問題は解決できない」と考えたところからスタートしたので、自分だけで行なうより周りと一緒に活動をしてインパクトを大きくした方が良いという価値観があり、今では20のネットワークに加盟しています。コレクティブ・インパクトと最近よく言いますが、気がつくとACEの事業は、そのような多様な人たちとの協働で状況を変えるプログラムなんだと思っています。
これまでの成果として、1,520人のこどもを児童労働から救い、13,123人の子どもの教育環境を改善し、2012年までに161万人に児童労働問題を伝えてきました。活動を始めた20年前の日本にはACEを入れても2つくらいしか児童労働をテーマにした団体はなかったのですが、現在では児童労働を活動テーマの一つにしている団体も増えました。それは、地道な草の根活動として児童労働という問題があることを社会発信してきた成果の一つだと思っています。
3年前に10年後のACEをイメージした長期ビジョンをつくりました。そこでは、「ACEが1億6800万人もの児童労働者一人ひとりを助けることは難しいので、他の人が助けてくれるように仕向ける」という考え方を基に、ビジョン、中期戦略、戦略ごとの数値目標を立てています。一つの成果として「児童労働ではないフェアトレードのカカオを使ったチョコレートが、分かるような形で日本全国のコンビニやスーパーで販売される」という具体的な目標を実現しました。学校の現場でも児童労働はかなり取り上げられていています。企業の対応もかなり変わってきました。現在は、日本政府に対して「企業がそのサプライチェーンで人権侵害をしていないかどうか、情報開示を義務付ける法律をつくる」アドボカシー活動をしたいと考えています。
ACEの体制は、常勤職員が7名、財政規模は9,000万円程度、その6割が寄付で事業収入は3割です。現在の状況については、「こうなると良い」という理想として以前から思い描いていたことが、思っていた以上に実現できたと感じています。
これからの市民社会の役割を児童労働という観点から見ると、人権問題である児童労働を本来的に解決するのは政府の役割ではあるのですが、政府が十分でなければ企業がそれを満たさなければなりません。しかし、いずれもうまくいかない場合はNPOやNGOが関係しないと実際の問題解決がしにくい。そういう部分でNPOやNGOの役割の大きさを感じています。しかし、課題はそこにリソースがないということだと思います。するべき役割を果たしていくために、NPOやNGOのリソース不足をどう解決していくかということを最近は考えています。
第2部:パネルディスカッション「NPOの視点から、市民社会の未来を考える」
登壇者
*岡本氏、佐野氏、エディ氏、岩附氏
*奥田裕之(NPOまちぽっと事務局長・司会)
本論
奥田 皆さんは、社会を非難する糾弾型ではなく「誰もやらないから自分がやる」という姿勢で具体的な成果を目指し、他者を巻き込みながら実際に結果を出している部分が共通していると思います。第2部のパネルディスカッションでは、今後の日本の市民社会の方向性やNPOはどういう存在であるべきなのかなど、皆さんの活動を普遍化した少し大きな話を、ご来場の皆さまも含めて議論したいと思います。
日本の市民社会の現状と課題、そして可能性については、どう捉えていらっしゃいますか。
佐野氏 私は、日本の社会全体が経済的また政治的に非常に不安定になり、劣化していていると感じています。その中で私たちは日々どう暮らすのか、あるいはどう生き残っていくのかということを、口に出さないまでも皆さん考えていらっしゃると思います。そこに対してNPOなど広い意味での非営利セクターは、あるいはソーシャルビジネスは、どう答えていくのか、また答えていくことができるのか、そういう問いを立てる必要がいま改めてあると思います。
ビッグイシューは、路上の排除されてきた人たちにとって、とりあえずは居心地の良い場作り・仕事作りを進めてきました。私たちが、一番厳しい状況あるホームレスの方々とともに行なってきたことを、すぐ社会全体に広めることは難しいことだと思いますが、ステップ・バイ・ステップで少しずつ広めることで、どう社会に貢献できるのかということを考えています。先ほどお話した「機動戦」として広い意味で政党のような領域に元気のいいNPOが口を出していくことは必要なことだと思いますが、私たちは別の役割、できることとして、生活をベースにした陣地戦を日々行なって自身のレベルを上げ、その結果として政治にも影響を与えていく手法がいいのかなと思っています。
岩附氏 私は、いま市民セクターがやるべきことは公(おおやけ)の再定義だと思います。日本の場合「政府が公を担います、以上」というようなメンタルモデルが、かつてあったし現在でもあると思っています。
一方で、これまで押さえつけられていた人々の中にあったダイバーシティ(多様性)の可能性が急速に花開きつつある気もします。アメリカに留学していた時に、はじめてゲイやレズビアンの友達ができました。私は留学生、彼らもある意味マイノリティーで通じ合うものがあったのかもしれません。彼らはありのままに受け入れられていて日本がこんな風な社会になるのはずっと先のことだろうなと思っていたのですが、このところの日本のLGBTへの注目度の高まりに驚きつつ思ったよりも早くこの時が来たと感じています。このように、人が思っていたことを一気に変える動きが出ることを考えると、いろいろなこと不可能ではないと希望を感じます。
課題に感じていることは、日本に住む私たちの「人権に関する感覚」の低さです。NPOの活動をしていて、「なぜこんなに話が通じないんだろう?」と理由を考えると、それは人権感覚の違いなんだろうなと感じます。子どもの権利の話をするときに、「権利というのは人に与えられたものではなくて、その人が生まれた瞬間から備っているものであり、権利を大人が与えるわけではない」という話をするのですが、それが単なる言葉としてではなくて、感覚として実感できる社会であることはとても大事だと思っています。
人は多様であるからこそ社会課題も多様であり、それに対するNPOもたくさん生まれてきているはずです。NPOの活動を見れば、いまの日本の社会課題は何かということも分かると思います。そのように「NPO活動そのものが、私たち市民のつくる新しいパブリックなんだ」という理解を、もっと社会的に共有できたら良いのではないかと思います。
他に課題と感じていることは外部環境への変化の対応です。SNSやクラウドファンディングの登場など、資金調達の方法を含めて急激に外部環境が変わってきています。企業セクターも手法を大きく変えている中で、市民セクターも変わるべき部分があると思います。今後、どう変わっていくべきなのかという議論をもっとした方がいいのかなと思っています。
エディ氏 私も課題は「人権の感覚」だと同じことを思っていました。今の社会では、多くの皆さんがどうも自分らしく生きていないと思っていて、私たち当事者に向けられる厳しい目の中に「自分勝手に生きていくのか、おまえだけ抜け駆けは許さないぞ」という意識があるように感じる時があります。周辺の子どもたちや大人を見ていると、多くが皆に合わせ、社会に合わせる我慢をすることが何よりも重要だと思っているようです。その結果として、自由に生きることができない意識が自分より下の立場の者を作り、そのようにしか自分自身を維持できなくなっているようにも思えます。
これからは、「人との比較ではない自分」というものを作っていかなければいけないと思います。日本社会は、これまで「自分」というものを作っていかなくていい社会だったのかもしれません。欧米では、自分の意見を常に求められるため、逆に「他者の意見を聞きなさい」と言われることがあるそうです。それはそれでしんどい社会かもしれませんね。日本に来ているイギリスのLGBTの方がいらっしゃって、大人しい感じのその方が「日本はいろいろ問われないから生きやすい」とお話していました。イギリスでは「主体的な市民でないと、社会は駄目になっていく」という意識が逆に強すぎるのかなという想像をしましたが、日本では「自分を大切にする」「自分の人権を認める」ということをもっと意識していく必要があるとおもいます。そうでないと「人権は弱い者だけに用意された盾だ」というような意識だけが残って、人権について話すと「弱者利権だ」というような変な方向になってしまいます。
生徒たちが主体的に社会との関わりを持とうとしたり、自分が自分らしくあるように考え続けることは相当に難しいことですが、そのような子どもたちを応援しないといけないなと思っています。
岡本氏 私には少しテーマが大きすぎるかもしれませんね(笑)。この場に来ている皆さんは、そのような意識を十分に持っていらっしゃると思いますが、私は「主体者意識」をもっと多くの人に持ってもらいたいなと思います。地域の現場で活動していて、「面倒事を全部NPOに押し付けるのはやめてほしい」という感じることがあります。沿岸被災地に限った話ではないと思うのですが、「複雑に絡み合った問題を、地縁的ではない市民セクターに持ち込めば何とかなる」というのではなくて、いろいろなステークホルダーが関係してその問題を作っているのであれば、その人たちでまず議論をして、ある程度絡み合った糸をほどいてから相談に来て欲しい。私は、そのような主体者意識なしにNPOに問題をただ持ち込むことは大いに間違っていると考えています。
先程、「公の再定義」についてのご発言がありました。市民社会を進めるときに、どんな社会を目指すのかということについては、方向性だけで良いのでもう少し議論をした方がいいのではないかと考えます。ただし、一律の方向性を示してそれが受け入れられるかといえば、そうではないと思います。というのも、自分自身でも「変だな」と思うのですが、私は特に社会意識が強いわけではありません。外からは、防災に関しては極端に意識が高く見られていて、他の部分でもそれに近いだろうと聖人君主のように思われることもあるのですが、当然まったくそんなことはないわけです。自分自身でも「本当は、防災以外にもいろいろやらなければいけないんだろうな」とも思わないわけではないのですが、一人の人間が聖人君主のように全てを担うような社会は正しくないと考えているので、自分の出来る範囲のことをしています。どこをお互いに許容し合えるかが重要なんだろうと思います。
一方で、自分の田舎は人が少ないので若者ということで、JCにも入り、ライオンズクラブにも入り、NPOを2つ運営して県の委員もやっています。そのように複数のものに引っ張られるんですね。それらを最初はまったくやりたいと思わなかったのですが、今は当事者として自分の出来ることであればやりたいと思うようになりました。そのように多くの人たちが当事者意識を考えるようになったら、もう少し市民社会自体が良いものになっていくのではないかなと実感しています。
佐野氏 いま人権に対する意識が低いというご意見が出ましたが、私もその通りだと思っています。そういう形で排除されているのが、ホームレスの方々なんですね。しかし私たちは、人権意識の低さによってその被害的な当事者になった人が自ら活動や表現をすることで社会ともう一度コンタクトを取り得る、そのようなことをどうお手伝いできるかを考えています。それを「自助型の応援」と呼んでいます。何かを人にしてあげるだけではなくて、問題があれば、その問題を抱えている人自身が当事者として行動を起こすことができる「自助型の応援」プログラムを作ることが重要だと思っています。
具体的に言いますとスポーツ文化活動をとても重視しています。その代表的なものはサッカー(フットサル)です。世界的なホームレス・ワールドカップというイベントがあります。私たちも「野武士ジャパン」というチームを持っていまして、その練習をしていると普通はスポーツに関わらない様々な方が集まってきます。ホームレスサッカーという場に、鬱になった人、引きこもりの人、依存症で回復施設にいる人などが集ってきて、彼らとともに私たちは「ダイバーシティ・カップ」という企画を2回開催しました。2回目は15チームほどできまして、スポーツを通して楽しく参加者同士がお互いの背景を認め合う、社会的な交流空間ができています。これは、実際に来た人が何より楽しいんですね。確かに排除されることは悲惨なのだけれど、当事者の方が何かしらの形で「生きていてよかったな、楽しいな」と思えるプログラムをどれだけたくさん作ることができるのか、そういうことを考えています。
私たちは、元気で明るく楽しいホームレス支援活動をやりたいし、それを社会に見せて一般の市民を巻き込んでいきたい。そして、ボランティアや寄付を通して参加していただくことが、とても重要な社会変革への参加であるということを伝えていきたいと思っています。
参加者からの質問(1)
今はNPOで働いていますが、かつてサラリーマンだったので「男子一生の仕事」「二足のわらじは恥ずかしい」という価値観がありました。今では、NPOでセカンドキャリアやダブルワークをすることが良いという価値観も出始めています。このような価値観について、どうお考えでしょうか。
エディ氏 私は20年くらいサラリーマンで働いてきて、3年前に退職してNPOに専念することにしました。以前に働いていた会社では、結婚しないと辞めさせられまではしませんが、役職がもらえないということがありました。私たちの仲間で、そのような社会的なプレッシャーから無理に異性との結婚をしている人も決して少なくありません。いわゆる偽装結婚ですね。私はセクハラがひどくなっていったので、28歳のときにカミングアウトしました。
仕事を辞めるまでは、7年間並行してフルタイムで働いた後の深夜にNPOの活動をやっていました。とても忙しかったのですが、それによって居場所が二つできたことは良さでもありました。最終的に、いつの間にかNPOのことでほとんど頭がいっぱいになったことを自覚して、自分なりに十分にやってきたと考えて仕事をやめました。やはり会社しか居場所がないのではなく、自分自身で居られる場所があることが大事だと仲間とも話しています。
岡本氏 それは、「仕事」をどう捉えているのかということになると思います。NPOの場合は2つのケースが考えられると思います。一つはNPOの収入だけでは食べていくことができないので、複数の仕事を行なうケース、もう一つは複数のことを同時並行でやりたいと思って複数の仕事を行なうケースです。人によってだいぶ意味合いは変わるだろうと思いますが、結局のところは一つのほうが良いと思います。もちろん複数の仕事をすることで外部からの学びはあるけれども、安定した状況下で力を発揮するという面からは、多くの場合で仕事を一つに絞ったほうが良いパフォーマンスが出せると思います。
大学生から同世代までの若者といろいろ話してみると、ダブルワークに関心を持つ人がとても多いようです。どうも「自己実現を図ること」と「お金を稼ぐこと」を、一致させない捉え方をする人が増えているようです。お金は会社等で手堅く稼いで、好きなことをNPO等で行い、結果としてダブルワークになることを望む志向性が強いという印象です。
一方で、その枠に収まらない人がいることも事実です。タイプとしては、私はこちらに入るような気がします。自分はやりたいことのためにお金を稼いでいるわけではなく、仲間と一緒に面白そうだと思うことをした結果、何とか食べていける状況にあります。そういう側面では、NPOは仕事というよりもある意味で「趣味」に近く、今日のテーマに合わせれば一つの社会変革の手段として考えています。
参加者からの質問(2)
皆さんがNPOの仕事を続ける上で、自分のモチベーションを高める方法があれば教えてください。
岩附氏 よく聞かれるのですが、いつもぱっとは思いつきません。確かに、こんなこと(児童労働)が許されてはいけないという怒りが根底にはあります。「マインドフルネス」という概念があります。ここにいらっしゃる皆さんもそうかもしれないと思うのですが、社会変革を目指して立ち上がる時に怒りがモチベーションだと自分が疲れてしまうらしいんです。多分、怒りを昇華させて次の段階にしていく必要があるので、それを自分の中でどうやっていこうかと最近は考えています。
モチベーションという質問とは違うのかもしれませんが、息切れして倒れないように活動を続けていくためには、「自分自身のことを知る」ことがとても大事だと思っています。ACEの研修で、自分自身を発見するというワークショップを行なったところ、受けた皆が本当に良かったと言っていました。個人のありたい姿と組織のありたい姿の接点を作って、結びつける。ACEの活動は自分個人の体験と結びついているので、そのように自分の心と向き合う時間を意識して取るようにしています。
エディ氏 自分はゲイとして生きていくことを大学3年生で決め、その中での理想を目指して生きてきました。その結果、何とかそれなりに幸せを得ることができたし、親には迷惑をかけつつも異性との結婚という自分にとっては最悪の展開を避けさせてもらうこともできました。それはとても幸運だったと感じています。その過程では、たくさんの仲間たちが心を病んだり、亡くなってしまう姿を見てきました。友人には、「エディはいいよね、もういつ死んでも十分に生きたと言えるんじゃないの」と言われたりもします。私にはその友人の気持ちが痛いほどよく分かります。自分が幸せでさえあればいいとは到底思えない。自分は何かをしなければいけないという気持ちが、この活動を続けさせているところはあります。
また、おかげで自分たちの活動はいつも新たな挑戦になっているので「あの愛媛でこんなことができたぞ」という意識や、痛快な気持ちが活動の力になっている部分もあります。それに巻き込まれて、ひどい目にあっていると言う仲間もいますので、仲間に負担をかけずにやっていく工夫をしながら今後も活動を続けていきたいと思っています。
岡本氏 私の場合は東日本大震災がきっかけなので、やはり同級生や後輩の死が大きく影響しています。サバイバーズ・ギルティという言葉をご存知の方がいらっしゃるかもしれません。生き残った人が、「なぜ自分だけが生き残ったのか」と思ってしまうことです。私自身にも、当時は好き勝手に東京で仕事をして暮らしていたので、実家を継ぐために故郷で頑張っていた友人が亡くなったことを知った時に「頑張ってきた彼が死ぬくらいなら、自分が死んだほうが社会的にマシだったのではないか」という気持ちがありました。ある意味では、当初は懺悔的な気持ちがあってNPO活動を始めた部分があります。
今はどうなのかというと、確かにそのような気持ちは間違いなく現在もあるのですが、モチベーションとして支えてくれているのは「こんな私を面白がって、活かしてくれる人たちがいるから」の一言かなと思います。今日来てくれているシーズの関口さんや難民支援協会の石井さんなど、NPOの右も左も分からない状況で私を育ててくれた方や、地域の中で私のことを「岩手のホープだ」などと言ってくれる方の気持ちに答えたいと思っています。
市民活動というのは基本的に「自分の目の前の人たちをハッピーにしたい」ということだと思います。後はとにかく「楽しむ」ということですよね。NPOは確かにしんどい瞬間がとても多いですが、その時にも笑っていられる強さがあると、けっこう周りが助けてくれたり、一緒にやろうと言ってくれたりして一緒に苦しんでくれるところがあります。
佐野氏 簡単に2つだけ。自分のためにやっていると私は飽きやすい、人や社会のためにやっている方が飽きないで続きます。あとは、嫌なことはやらない。以上!(笑)
参加者からの質問(3)
私は教員をしています。これから成熟した市民になっていくだろう子どもたちへのアドバイスと、ぜひメッセージをお願いします。
岡本氏 一言で言えば、「一度しかない人生なので、楽しめ」ということになるでしょうか。私は、自分では普通に生きていると認識していますが、周りからはよく枠を外れて歩いていると見られます。今日の登壇者の皆さんは皆そうではないかと思うのですが、別に枠を超えたいわけではなくて、自分が普通に歩いていたら周りがそのように見ていただけだと思います。
テーマである市民社会自体を考えても、これまでも4,50年の間に絶対に変わってきたはずです。あまり社会的にこうでなければいけないなどは考えなくても良くて、自分自身に嘘をつかずに生きていくことの積み重ね自体が、市民社会にとっても良い積み重ねになっていくのではないかなと思います。
佐野氏 学校の先生には少しいじわるな答えになってしまうかもしれませんが、「好きなことがあれば、学校なんてサボったって良いんだよ」と言いたいですね。素直で好奇心があれば、人間はどんどん伸びていくと思います。また、NPOなど社会起業家を育てる場合の基本的な素養は何かというと、「共感能力(エンパシー)」だとアショカ財団のビル・ドレイトン氏が言っていますが、私もその通りだと思います。ぜひ学校で生徒さんに、「共感能力」が育っていく教育をして欲しいと思っています。
エディ氏 「社会は変えられますよ」ということでしょうか。子どもたちには、今の社会はうまい仕組みでよく出来ているように見えるかもしれませんが、まだまだ解決できていない課題はたくさんあります。祖父母や両親の世代がより良い社会を目指して生きてきたように、自分たちの世代もより良い社会を作っていけるし、またやってもいいんだと伝えたいと思います。
先ほどの「自分に嘘をつかない」ご発言は、「自分らしくある」ということだと思います。あまり社会に合わせすぎると、気がついたら「自分じゃないもの」になってしまいます。皆に合わせることが人生の処世術で良さそうに思えるけれども、社会は人生の責任を負ってくれるわけではありません。結局は自分で責任を負う必要があります。それなので、自分らしく生きることはとても大切なんだとお伝えしたいですね。
岩附氏 ぜひACEを講師派遣で呼んで頂けたらと思います(笑)。子どもの時に、社会課題に触れて何らかのアクションを起こすことはとても大事なことだと思っています。ACEでは12月に、若者が児童労働の課題を知った上で募金を集めるキャンペーンを企画しています。このような取り組みに、ぜひ参加していただきたいと思っています。
メッセージについては、先程ご紹介したカイラシュ・サティヤルティさんが来日中に繰り返し若い人に伝えていた言葉をご紹介したいと思います。とても覚えやすくて、3つのDといいます。
1つめはDream 、「夢は大きく持って、自分のためではなく皆にとって良い方向にその夢を向けなさい」というものです。2つめはDiscover、「自分の強みを発見して、そして機会を捉えなさい」というものです。3つめはDo、すぐにやる、です。これが日本人の私たちには一番難しいかもしれませんが「失敗を恐れずに、小さな成功を祝って前に進もう」とカイラシュさんは言っていました。これを私のメッセージとさせていただきたいと思います。