• 日時:2017年7月14日
  • 場所:NPO法人まちぽっと会議室
  • 参加者:堂本暁子氏、山岡義典氏、辻利夫
  • 司会:坪郷實  *補足:原田峻

 

本編

坪郷 NPO法制度制定記録プロジェクトのまとめということで、今日は、法制定当時に中心的な役割を果たされ、かつ当プロジェクトに最初からかかわられた堂本暁子さん、山岡義典さん、辻利夫さんに、次の3つのテーマで鼎談をお願いしたいと思います。

まず、プロジェクト全体についてです。NPO法制度制定記録は、市民側の文書と政党側の文書を含みます。関連して、制定プロセスにかかわったキーパーソンのヒアリング記録を作りました。こうした制定記録を活用するために、連続フォーラムを開催しました。

次に、今の問題意識から、NPO法が目指したもの、もたらしたものについてお聞きしたいと思います。大きくは市民社会の強化がデモクラシーを活性化することにつながるのだろうか、という論点です。

最後に、これからの世代に向けたメッセージをお話しください。

 

1.NPO法制度制定記録、活用プロジェクトについて

辻 このプロジェクトは、3.11の東日本大震災でシーズが引越しをする必要に迫られたことから始まりました。段ボールで200箱に及ぶNPO法制定時の資料は、費用と保管スペースのこともあって引越し先には持っていけないということで、シーズの理事会で議論したところ市民と議員との協働で制定にいたった立法記録を何とか残して、市民による立法活動に活用できないか検討することになりました。この記録の保管先として当初は立教大学共生社会資料センターを想定していたのですが、2010年に住民図書館の資料が入ったために場所の余裕がありませんでした。その前にちょうど公文書館法が改正となり、国立公文書館に民間からの資料も受け入れられることになり、国が作った公文書だけではなく、市民側の資料を歴史的文書として収め、市民に公開される先鞭をつけたいと考えたのです。

資料の保存編纂に当たっては、まずNPO法制定記録企画編纂委員会を設けました。資料のほとんどはシーズ所有でしたが、他にはNPOまちぽっと(制定当時は東京ランポ)も保管していました。その後に堂本さんも保存していることが分かり、委員会で資料の位置づけと全体の把握をしないと作業は難しいだろうということになりました。この編纂に合わせて当時主要な役割を果たした方々へのインタビューを行ったところまでが第1期プロジェクト(2011年~2014年)です。国立公文書館に寄贈するにあたって、個人情報や著作権の問題が出てきたため、それをクリアする作業を行ったのが2015年からの第2期プロジェクト。現在の視点で活用することを目指した連続フォーラムとホームページ作成を行ったのが第3期プロジェクトでした。2011年から始まったプロジェクトは結果的に6年間かかりました。

坪郷 このホームページに掲載されている連続フォーラムの中で、山岡さんからは、2011年に震災があった中でプロジェクトを行うにあたって躊躇されたという発言もありました。

山岡 シーズの理事長をしていた林泰義さんから震災直後に声がかかったのですが、この忙しい時期にそれどころではない、といった気もしました。また必要なお金をどうやってつくるかという課題がありました。当時のお金は全て震災支援にいっていましたから。一方で、次々にキーパーソンが高齢や病気でインタビューできる状態ではなくなってきてもいました。そこで金はともかく日本NPOセンターで何とかして、とにかくやりましょうという話しをしました。資料はシーズからお寺(見樹院)に避難させて、そこで整理作業を行いました。整理をしているうちに、堂本先生のところにまとまった資料があるということが分かりました。

公文書館に入れることが決まってからが第2期になります。公文書館に入れるための著作権や個人情報などの要件を満たす非常に地道な作業をやられました。第1期のときは、まだそんなイメージはしていませんでした。第2期に入って、資料整理だけでいいのかと議論になった。そのまま公文書館に入れても誰も読まないよね。現代の若い人はNPO法があるから使うということで、法律の出来た経緯については殆ど興味をもっていない。そのことは悪いわけではないけれども、どういう背景の中で、どういう人がどう努力したのかという部分から法律の意味を若い人に伝えていきたいね、ということで第3期が始まった。

堂本 私は参議院議員としてNPO法の成立に関わった直後に千葉県の知事に就任したので、知事だった8年間は、国会の資料を整理することができませんでした。12年間の国会関係の資料は可能な限り取っておいたのですが、知事を辞めた後はさすがに収納場所がなく、殆どの資料は処分せざるをえませんでした。どうしても捨てられなかったのがNPO法の成立過程に関する資料です。ダンボール箱が3個ありました。「宝の持ち腐れ」になりかねなかったその資料を、辻さんを始めまちぽっとの皆さんが整理して公文書館に入れてくださったことに感謝しています。

私は、ジャーナリスト時代から女性の健康や環境問題などの分野で市民活動をしていました。その際、法人格がないため、電話も団体名で引けないなど、様々な不便を経験しました。しかし、市民団体に法人格がないことに危機感を抱いたのは、参議院議員として1992年にリオで開かれた「地球サミット」に向けて国際的な活動を始めてからです。1991年にジュネーブで開催された第3回準備会合に参加して驚きました。諸外国のNGOが数多く来ているのに日本の市民団体からは一人も参加していない、何故なのか、疑問をいだきました。日本の市民団体にはNGOとしてのステータスがなく、国連の会議に登録すらできない。制度がないため、国際的に活動できる市民団体が日本には育っていませんでした。

1994年に入ると国内的にもシーズを中心に「市民活動を支える制度をつくる活動」が活発になり、松原明さんたちが各政党にアプローチし、国会でも動きが出てきました。松原さんが私のところに最初に来られたのは、1992年の秋でした。私は賛成だったので、「市民活動活性化プロジェクト」を社会党につくろうとしたのですが、当時は党内に賛同者が少なく、なかなか実現しませんでした。なんとか勉強会程度のグループを立ち上げたのは、1994年の秋になってからです。ところが、翌1995年に参議院の改選期をひかえ、私は、社会党・護憲共同の会派を辞し、「地球環境」を党是の一つにしていた新党さきがけに入りました。再選を果たし、新党さきがけでNPOプロジェクトを担当することになったのですが、社会党に比べて、新党さきがけはNPOに熱心で、立法に向けての機運が盛り上がっていました。以来、議員立法に全力投球しての3年間でした。

千葉県知事になってからはNPO立県を公約に掲げたので、シーズの松原明さんや山岡さんをはじめ多くの関係者がNPO法の実践のために献身的に努力して下さいました。そもそも、千葉県のNPO政策は全都道府県中47位と最下位、法人の数も少なかったのですが、わずか2年で47都道府県をごぼう抜きし、トップに躍り出ました。数だけでなく、質的にも高く評価されたのは、松原さんの創意と努力によるものでした。

 

先ほど、辻さんから「市民と議員が連携してつくった法律」というお話をされましたが、NPO法ほど市民が先行し、議員を説得し、動かし、市民と国会議員が二人三脚の関係で審議し、成立させた法律は他にありません。私自身、当時は国会の中よりも外を見ていた。シーズや経団連の田代さんの意見に耳を傾けていたような気がします。松原さんは自民党や社会党などをまめに回って、各党の状況を調べながら、戦略を練っていました。このように、市民が国会を動かしたという日本では稀有なケースだと思います。

最近、日本では市民の力が弱いと云われていますが、歴史的に見れば、市民が力を発揮したこともあります。例えば公害反対運動です。当時、東京、大阪、福岡で、公害防止を主張する革新首長を当選させ、国よりも先行した公害規制条例を次々に成立させ、その結果、1970年に公害国会が開かれて公害防止法が成立し、環境庁が設置されました。国民、市民の力が国の制度を前進させた例です。NPO法の成立も、市民が押し上げた公害防止の際と同じように市民が動きました。

NPO法関連でいうと、木原さんたちが奈良で始めた「まちなみを守ろう」運動が早く、市民が自分たちのまちを自分たちで作るんだという、公害とは違いますが、すごくポジティブな活動を展開した。最近、NPO法の歴史を調べていて、それを知り、関東ではなく、奈良から活動が起こったことに驚き、感動しました。企業も参画している、トヨタ財団から始まって、最後は経団連までかかわった。そして貴重だったのは神奈川の自治体の方たちの参画です。経済界も市民も行政の人たちも連携して動いた。これは半端じゃなく、凄いこと、公文書館入りする資料を丁寧に読んでいくと、そのうねりが感じられました。

 

NPO法は日本の社会の本質を変えるような性格をもっていた。行政主導の制度から市民主体の民主主義の台頭というか、そういう市民の流れがありました。それを当時の保守の国会議員は感じとって反対した。知ってほしいのは、当時の政治的背景です。1993年に38年ぶりに自民党が野に下り、野党の連立政権が誕生し、その後に自民・社会・さきがけの村山連立政権が生まれます。当初、「社さ」で決めた政策を自民がフォローするというかたちで連立が組まれ、自民党はとても謙虚でした。自民党が野党になって霞が関の行政支配も弱まった、そんな間隙を縫って市民活動促進法が出てきた、絶妙なタイミングだった。次に1996年の衆議院選挙で自民党が勝利を収め、今度は、自社さ連立でも自民党の橋本龍太郎氏が総理の座に返り咲きます。そうした政治の激変期にNPO法の議論は連動して進み、残念ながら自民党が強くなっていくにつれて規制が強くなり、市民活動促進法という法の名前まで「特定非営利活動促進法」と変えられ、本質を削がれて行きました。とは言え、この時期だったから、NPO法が成立したのも事実です。

最近の、一般社団法人とNPO法人のどちらで設立するほうが活動しやすいのか、という議論は、民主主義の本質を問う議論だと思うんですね。公害国会やNPO法を成立させた時のように、日本人はどこかで底力とも言えるエネルギーをもっていて、変革を望む時は、それを発揮する。日本の政治の流れ、最近の国際的な動向をみると、NPOの本質について、再度、原点に帰ってあり方を考える時ではないか。NPOが社会を大きく変える原動力になるチャンスが来ているのではないか、と思います。

坪郷 プロジェクトで行ったヒアリングや、当時の記録についてはいかがですか。

辻 インタビューの人選では亡くなられたり、病気になられたりしてかなり漏れてしまいました。亡くなられたのは自民党の加藤紘一さん、日本国際交流センターの山本正さん、経団連の若原泰之さんや田代正美さん。民主党だった金田誠一さんはご病気になられました。また、新進党だった河村たかしさんは、名古屋市長として現役なのでヒアリングを行いませんでした。

堂本 国会で政策が立案されるプロセスは委員会での質疑があり、情報が公開されます。ところがNPO法の場合は、連立を組んでいた自社さ3党間で提出する法案をめぐって、与党NPOプロジェクトにおいて本質的な議論が延々と続きました。ところがこのプロセスは非公開。議論内容の記録もありません。そこで、私の資料は、水面下でどのような議論が戦わされ、法律の内容が変容していったのか、立案のプロセスが残ったという意味で価値があるといえます。

辻 各党にも資料は残っていませんでした。堂本さんの所に全体を通して残っていたことが貴重だったと思いますね。当時はまだ情報公開法もありませんでした。

坪郷 ヒアリング全体をまとめた原田さんから、補足をお願いします。

原田 個人的には、シーズ結成前夜の資料やヒアリングが市民団体の運動のうねりのようなものを感じられて面白かったですね。後は、亡くなられた加藤紘一さん、田代正美さん、日本国際交流センターの山本正さん等にお会いできなかったことが残念です。資料では、さきがけ政調スタッフだった高見省次さんが、かなり整理して残されていました。今後は政党スタッフが、きちんと資料を残すかどうかが大きな分かれ目になるなと感じました。また、シーズのニュースレターに松原さんが当時のリアルタイムな情報をこまかく残しています。そのバックナンバーを見るだけでも、流れをつかむ上で参考になりました。

 

2.いま振返るべき、当時の議論とテーマ

坪郷 次に、NPO法の制定過程では、NPOと政治活動、NPOの政策提言活動の重要性、NPO法と後の公益法人改革の関係、市民社会を確立・強化することによりデモクラシーを活性化するなど、多くの論点がありました。現在だからこそ議論をもう一度しなければならない、あるいは新たな展開をしなければならないテーマについてお話しください。

山岡 堂本さんたちが政治の分野で頑張ってくれたおかげで、NPO法の第一条には「市民が行う自由な社会貢献活動」という市民活動の精神が残っています。第一条は、この法律の重要な遺伝子です。これは大事にしないといけないが、その意味は必ずしも次世代には伝わっていない。

第一条 )この法律は、特定非営利活動を行う団体に法人格を付与すること〔並びに運営組織及び事業活動が適正であって公益の増進に資する特定非営利活動法人の認定に係る制度を設けること〕※等により、ボランティア活動をはじめとする市民が行う自由な社会貢献活動としての特定非営利活動の健全な発展を促進し、もって公益の増進に寄与することを目的とする。

※〔 〕は2012年改正に伴う加筆で成立時には存在しない

いまの問題は、NPOは政治から離れていなければ駄目だと思われてしまうことです。国会での議論を踏まえれば、本当はそんなことはないんです。しかし法人法で、あれだけ政治や選挙活動制限があるのはこの法律だけです。だから過剰反応する。僕はあんなもの(政治規定)は初めから無いほうがいいと思っていた。現在の一般社団法人にはそんな規定は何もないので、そっちの方が政治的には自由だという議論も確かにある。そういう意味でNPO法の一番の棘は、政治活動の制限ですね。

一般社団法人についての話ですが、NPO法制定当時、我々は役所の認定も認証もなく準則主義で誰でも自由に取れる法人格を目指した。そういう意味で、市民性はなく非営利性は徹底していないわけだけれど、ある意味では一般社団法人は理想としてきた法人格に近い。法人格で市民セクターが分断されているのは良くないので、法人制度に囚われずに一般社団法人も含めた市民セクターをつくることができるんじゃないか。そのために各地域の中間支援組織は法人制度の枠を超えてもうちょっと頑張らないといけないんじゃないかと思っています。それはともかく、NPO法の第二条にある政治制約の規定はないほうがいい。無くすことは今のところ難しいかもしれませんけど。

堂本 NPO法をつくる過程で、私は第二条にある政治制約の規定には反対でした。諸外国では、NGOによるロビー活動は活発ですし、それを目的にしている団体もあります。一般社団に規制がないのだとすれば、NPO法人の規制も削除すべきです。NPO法人について市民活動の代表格のような印象をまだ多くの一般の方は持っている以上、NPO法がより、市民活動がやりやすい法律に改正していく必要があると思います。

これからは一般社団とNPO法人の2つをどう両立させていくのか。NPO法人の本質が曖昧になったり、メリットが少なくなっていく危惧はないでしょうか。そうならないために、NPO法の意味を再認識すべき時期を迎えていると思います。

山岡 私は特に危惧はしていません。法人選択に広がりができたと考えればよい。お互いによいところを取りあって修正していくことになるかもしれません。一般社団はすぐ設立できます。この4月からNPO法人も2カ月あった縦覧期間を1カ月縮めることで、早ければ1ヶ月で設立できるようになりました。そのような部分では、NPO法のハードルも下がってきました。NPO法人は10人の会員が必要ですから市民団体としての意味があると考えますが、一般社団法人は2人でもいい。いずれNPO法人も最低5人のように設立のハードルが下がるかもしれません。こうしてハードルは一般社団法人に近づいて低くなる。一方で一般社団法人はちゃんとやっているところと、そうでないところの幅が大きいことが特徴です。NPOはその幅が小さい。一般社団法人でも、そういう、ちゃんとやっている社会的信頼性のあるところとはときちんと付き合うことが重要です。

堂本 欧米では、市民セクターの存在がはっきりしています。日本にはセーブ・ザ・チルドレンのように大きな国際的市民団体が少ない。NPO法をつくろうとした市民団体個人の究極の目的は、市民セクターを形成する法的手法との意識があった、しかし、今日に至るまで、日本では市民セクターが明確に形成されていないのではないでしょうか。法人格が乱立し、政治活動が規制されていたり、いなかったりしており混乱を招くのではないかと危惧します。

ヨーロッパなどでいう自立した個人としての市民(citizen)の立場からの市民社会が日本では形成されにくいことが残念です。NPO法の立案に取り組んでいる当時、来日したチャリティ・ローの専門家に「イギリス社会は逆三角形、トップがシチズン・セクターで一番大きく、次がビジネス・セクター、最後が政府・行政ですが、日本はまったく逆で、トップが政府・行政、次がビジネス、3番目に市民ですね」と言われました。

もう25年前になりますが、1992年に奈良まちづくりセンターの理事長だった木原勝彬さんが「戦後の経済復興、1960年代の高度経済成長は現在の企業社会を形づくった。しかし、日本では第1セクターとして政府・行政部門の突出と、第2セクターとして企業活動部門の異常突出が、第3セクターとしての非営利活動部門の市民団体の育成をはばんでいる。このいびつな社会構造を改革し、市民セクターを育成するシステムを構築する必要がる」と述べ、いち早く、市民活動の制度化を求めました。

NPO法はできましたが、木原さんが指摘された政治・行政によって絶妙に市民がコントロールされる社会構造は、まだ変わっていないのではないか、それこそが、今も私達にとっての課題だと思います。

山岡 官僚がどう思っているか分からないけれども、NPOを新しく作ろうとする市民側自身が、自分たちは市民団体だとは思っていないかもしれないのが気になる。

堂本 NPO、一般社団の別なく、市民が民主的な市民社会を実現する方向性を目指す明確な問題意識を共有し、連帯して声を上げ、活動すべきと考えます。

山岡 イギリスでは新しい法人格が次々に出来ています。アメリカの法人格は州ごとに決まっていますから、国の税制は法人格と関係なくやっている。そういう意味で、法人格がこんなに意味を持っているのは東アジアの特徴かもしれません。大事な事は、ひとつひとつの団体がどういうことをやろうと考えているかだと思いますね。法人格をもたない任意団体の存在も、自由な活動という点で重要でしょう。

辻 NPO法の制定当時、枕詞として「市民社会をいかに強めるか」ということがありました。生活クラブ生協も市民活動の一環として当時NPO法制定に力を入れていましたが、やはり社会的課題を市民が自ら解決していく、そして自治能力をつけるということが市民社会を強めることだと思います。

80年代半ばから我々が感じていたのは、自民党政治が硬直化し、社会的課題に対してなかなか対応できなくなったということです。そのような認識がある中で、市民自らが課題に対応する活動を事業化する動きが福祉の分野やまちづくりの分野で増えてきた。それがNPO法をつくる中に反映されています。市民セクターが自らの市民社会を解決するためのツールを作らなければいけない、と。そのころは、そんな本をつくろうと思って目次まで作っていた。途中で挫折しましたが(笑)。

1995年1月の阪神・淡路大震災までは、法律ができるのは21世紀だよねと言っていました。しかし、震災が起きて「市民社会と市民セクターとは何ぞや」という議論が未熟なまま法律の制定が進んでしまった。その部分はこれから見直していく必要があると思います。

堂本 おっしゃるとおりですね。法人格を得るという制度だけでなく、市民社会の構築に向けての議論が少なかったと思います。法人格を得た上で、どうやって市民セクターを確立するのか、という議論です。

私は6年間、東日本大震災の復興支援にどっぷり関わってきましたが、その間に感じたのは、日 本人がいささか行政依存体質になってしまっているということです。避難所、仮設住宅など、全てを行政に求める。行政が解決できないと不満が行政に向かう。NPOなど市民団体の支援が充実していたところ、さらに市民が主体的に活動したところは復興も順調でした。

ドイツでは災害時に、行政に頼らず、NGOなど市民セクターが支援活動を展開するそうです。災害の規模にもよると思いますが、市民セクターが強く、大きい。

日本では、行政が強すぎて特権階級化しています。時として、住民が自立心をわきにおいて「お上」任せにしてはいないか。私は「人任せ、行政任せ、はダメ」といっています。市民が主体的にまちづくりに参加している地域は災害にも強い街です。かつて公害反対やNPO法づくりで盛り上がったように、今また、一部の市民ではなく同時多発的に市民が立ち上がるべきだと思います。このHPもその火付け役になるよう願っています。チャンスが来たときに役に立つと思います。

 

3.今後の世代に向けたメッセージ

坪郷 それでは最後に今までの議論を踏まえて、年齢を超えて今後の世代に向けたメッセージをお話しください。

山岡 不器用でいいので、何かにこだわりながら事業や活動をしていって欲しいと思います。今の人はスマートで要領よい方が多い。一方で、うまく行きだすといつのまにか行政に取り込まれている場合もある。またソーシャルビジネスとして始めても、ソーシャルのほうが無くなってビジネスだけになってしまったりもする。ビジネスにしろ、シビックにしろ、もう少しこだわりながらやっていって欲しい。我々もそういう理念的な話をしなくなってきているので、もう少し話さなければと思います。そして若い人なりのセンスから新しい何かが生まれることに期待しています。

堂本 若者には、社会に目を向け、時代に敏感であってほしい、と思っています。日本はまだ、木原勝彬さんが言われたように、市民セクターが弱すぎます。さっき述べましたが、NPO法人、一般社団、任意団体などの別なく、真の民主主義を確立するために、連携・協力する時でありましょう。

特に、地域における子育てや教育、高齢者や障害者、就労の問題など、身近な課題について、市民の側が積極的に参画し、行政と対等な関係で話し合う構造をつくる必要があります。

ジェンダー・ギャップ指数も、2015年は世界で101番目でしたが、2016年は111番目に下がりました。女性の社会進出、特に、意思決定の場への進出が遅れています。女性だけでなく、障がい者や高齢者、外国人などに対する差別があってはなりません。差別のある社会は、全体として成熟した社会とはいえません。この現状をひっくり返すには市民の力が必要。そのことを若い人たちに伝えたいし、立ち上がって欲しいと本気で思っています。

辻 社会課題はそれぞれの時代で違います。これからどういう社会課題がでてくるのか分かりませんが、それに対してそれをすべて行政任せにはせず、自分たちで解決するよう活動していく。行政は、それに対してサポートをしていく。そのためのツールとしてNPO法人格というのがあるんだよ、ということを訴えたいと思っています。

原田 自分自身があるNPOの理事になってNPO法のことが実感としてよく分かりました。その中で気づいたことは、思った以上に所轄庁の力が強いということです。行政窓口に行くと、善意だとは思いますが職員の方が法律の規定以上の雛形を出してきて、それに沿って進めるように推奨されます。法律を詳しく知らない方は言われた通りに直してしまうでしょう。所轄庁と対等にやり取りできるよう、NPO法の知識を伝えていく必要性を感じました。

また、若い世代と接していて、柔軟に当たり前のようにNPOや社会課題に興味を持つ方も多いのですが、今の労働状況や経済状況で、どうしても自分の生計をたてることに注力せざるを得ない方も多い印象です。その中で、どのように市民社会に目を向けてもらうのかが我々の課題だと思っています。

堂本 それに関して言いたいのは、日本は諸外国に比べて、学者と市民のつながりが弱いということです。もっと学者に市民活動に参画して欲しい。

東日本大震災の発災直後からの政策提言には学者が参加したので、スローガンに終わらず、復興基本法、復興基本方針の一つひとつの条文に対して、論理的、法律的、具体的に要望を展開することができました。大学、研究者、当事者など多様な立場、多様な価値観が市民活動には必要です。

日本では残念ながら、市民活動に学者があまり出てこないし、大学もNPOと連携をしない。学者や当事者、市民が連携して、社会を変革していく時代だと確信しています。

山岡 NPO法ができた当時も学者は少なく、余り参加していない状況にありましたが、今はさらに実践とのかかわりが少なくなりましたね。もっと実践と研究が連携して活発な議論の中で自分たちを鍛えていかないとだめだということを感じています。

坪郷 確かに社会科学の研究者の現場把握は弱くなっていますね。自治体職員と渡り合えるような研究者がどれだけいるかと思います。一方で、NPOの側も研究者を上手に引っ張ってこれなくなったのかもしれません。

堂本 先ほどお話した東日本大震災の復興のプロセスですが、住宅や堤防の建設に関しての合意形成が不十分だったとの反省に立って、土木・建設分野の専門家と市民団体が参加し、話し合うシンポジウムを行いました。最初は土木の技術者は市民団体を下に見ていましたが、次第に話し合いができるようになりました。このように専門家とNPOや市民とが議論できる場を意識して作っていくことは重要だと思います。

坪郷 今日の鼎談でお話していただいたように多くの課題があると思います。市民事業型の市民活動と共に、政策提言を行うNPOがますます重要になっています。また最後のご指摘にあったように、当事者、市民活動・NPO、研究者・専門家、自治体職員などの間の連携という課題もあります。NPO法制度制定記録・活用プロジェクトが、今後の市民活動をめぐる議論のきっかけになればと思います。どうもありがとうございました。

 

鼎談を終えて

「ソーシャル・イノベーションについて考える」 山岡義典(市民社会創造ファンド運営委員長)

 最近よく、ソーシャル・イノベーションという言葉を聞くが、ちょっと安易に流れている気がしてならない。さまざまな人たちが独自の発想で社会的な実践を試みる行為は素晴らしい。しかしそれですぐに社会的インパクトを評価して、それでもってソーシャル・イノベーション云々というのは、どうだろう。

今回の鼎談を通じて改めて思うことは、このNPO法の制定こそが、堂々たるソーシャル・イノベーションであったということだ。

100年近く続いた公益法人制度の限界を感じた人や組織が、何年先になるかもかわからないことを覚悟の上で、それぞれの立場から同時多発的に問題提起を行い、必要な調査を自ら行い、具体的な政策を策定・提案し、日本各地で意見を取り交わし、国会でも真剣な議論を通して修正を重ね、これまでの日本では考えられなかったような立法過程を経た後に、100年続いた公益法人制度に大きな風穴を開けた。

別に立法に限るわけではないが、このように社会の根底にある課題にじっくり時間をかけて、右往左往しながらも必死に取り組み続けることこそが、本当のソーシャル・イノベーションを生むのではないか。

今回の資料編纂や関係者との対談を通して、そのことを改めて実感した次第だ。

 

堂本暁子