NPO法制定過程における自民党および与党NPOプロジェクトの動きについて、熊代昭彦氏にインタビューを実施した。熊代氏は、厚生省勤務を経て、1993年衆議院総選挙に自民党公認で旧岡山県第1区から出馬し初当選を果たした。以後、当選4回。NPO法制定過程には、自民党NPOプロジェクト座長や与党NPOプロジェクト共同座長などの立場で深く関与した。2011年から2013年、並びに2015年には岡山市議会議員を務めた。

インタビューは2012年4月24日に岡山市議会で実施した(聞き手:辻利夫・成元哲・原田峻、記録:辻利夫・原田峻)。 *肩書きは当時

  • 日時:2012年4月24日(火)11:00~12:15
  • 場所:岡山市議会
  • 協力者:熊代昭彦(元・自民党衆議院議員、現・岡山市議会議員)
  • インタビュー担当:辻 利夫・成 元哲・原田 峻

 

インタビュー本編

辻 時間も少ないので全部お聞きするのはなかなか難しいのですけれども、NPO法制定にあたってトータルで先生のご活躍を伺いたいと思っています。ひとつは阪神大震災がはじまって、自民党以下、与党NPOプロジェクトチームが三党で立ち上がってきますね。その辺の経緯をうかがいます。

熊代 あの大震災のときは、ちょっと遅れて行ったんです。あまり早く行ったら迷惑かけるし、地元に車を出してもらったらまた迷惑かけるので、汽車で行ってタクシーを使って自分で行こうと。今もまだ(議員を)やっている松下忠洋さんとご一緒に、それから私の秘書の山崎というのが行きました。松下忠洋は災害対策の専門家ですから、建設省で(河川局)砂防部長をやっていました。彼は寝袋を持って来たのだけれど、我々はそこで別れて、NPOというかその時はNPOと言わないわけで、岡山のAMDAとか、いろいろな団体の激励に行ったんです。それで、コーディネートする人がいないから、みんなやることがないから楽しく遊んでいる面もあったんです。「やっぱりコーディネートする団体が必要じゃないか」と、帰って自民党の社会部会に報告したわけです。そうしたら衛藤(晟一)さんが社会部会長をやってまして、「君がNPOのプロジェクトチームの代表やってくれよ」と言うんですよ。それで実は加藤紘一さんに頼まれていたらしいのですが、「見てきたから最適だ」と言うので、「それでは、引き受けましょう」と言って自民党の(プロジェクトチーム)を始めて、すぐ与党(3党)のプロジェクトチームにしたわけです。

辻 その時はさきがけが堂本さん、社会党は五島正規さんですね。

熊代 それで始めましたら、困ったことに堂本さんは公益というのが嫌いなんです。「『公益』を使わないでくれ」と言われて、私は「それを使わないでいいけれど、使わないと原則免税になりませんから、似たような言葉を使いましょう」と。ところが公益でいじめられたと思っているけれど、公益でいじめられたんじゃなくって、役所が許認可権を持っているから公益を盾にいろいろ人を送り込んだり、ろくでもないことをするんだ、だから役所の監督を一切無しにする、と。私は役所出身ですけれども、役所はケチな根性で人を送り込もうとか、諸悪の根源だというので(笑)。

とにかく性善説でいく、と。作る時はどんどん作る。しかし悪いことをしたら、あるいは悪いことをしているのが極めて明らかだという状況だと立ち入り検査もしますよ、そういうことでいこうよと言ったら、これまた反対です。さきがけも社会党もですね、「立ち入り検査などとんでもない、取り消しもとんでもない、最後まで性善説でいこう」と言うから、「そういうお人好しは私はやらない、それではやめましょう」と言ったら、「それじゃあ、まあ、まあ、まあ」とかいう形なんですね。性善説でやるんだけど悪い者はやっぱり懲らしめないと話にならないから。懲らしめると言ったってちゃんと法にのっとってやるんだから、暴力団とかそういうものはきちんと排除してやりましょう、と。それで3か月以内に全て認証する、その時に不認証の場合はちゃんと文書で理由をつける。文書で付けないとまた四の五の言うからそういうことにすると。

また、取りまとめは1か所にしよう、と。私が厚労省にいたから、厚労省にという話も出たけど、厚労省はやたらに仕事があって、そんなに仕事を抱えない方がいいし、全体だからまあ内閣府でやりましょうと、こういうことです。(内閣府は)役所の人だからいろいろと気を使って、「厚労省にしなくていいのですか」とかいろいろ言ってくれましたが、「そんなものいらない」と。私は「各省主権」というのが大反対だから。今、日本の政府は各省主権でしょう。国全体を支配しているのが財務省で、各省はそれぞれにリーダー。財務省が幕府で、各省はそれぞれの藩です。就職したら最後の葬式まで面倒見てくれるんですよ。だからこれは、せっかく都会に出て来て、「都市の空気は自由にする」といっても、各省にどっぷり浸かっていたらこれはもう狭い村にいるのと一緒だというので、各省主権をやめましょう、と。それで一生懸命動いていたのです。

ついでにいえば、各省主権を打ち破るために一括採用・一括人事をしようと党内で提案したら、だいたいの各省出身の議員は賛成だったんですけど、財務省出身は反対です。財務省の天下が崩れるから。「私はやりましょう」と言ったけど、否決されました。やはり財務省OBが相当、力を握っていますから、議員というのは。

辻 その辺はだいぶ堂本さんと話が合ったのではないですか。

熊代 その話は堂本さんとはしなかった。自民党の中で一生懸命やったんですけど。堂本さんには、参議院宿舎にみんなで招待してもらってご馳走になったことがありました。あの人は社交性があるから知事にもなれたんでしょうね。

辻 自民党内では今おっしゃったように、一種の行政改革ということではないのですれけど、どちらかと言うと、介護とかボランティアとか、そちらの方に結構、中心があったとうかがっていましたが。

熊代 そうでもないですけれど。やはり災害の後でしょう、災害ボランティアというのが意識されていたから。介護保険が2000年に施行になったわけでしょう、介護はその後でしたから。大震災があったのは1995年の1月17日でしたか。私が93年に当選したから、その翌々年です、その後すぐ始めたわけですから、介護の話が出るかなり前ですね。そのときは、災害ボランティアが中心だし、あらゆるボランティアで「何でもやろう」と言ったのだけれど、自民党の内部でうるさいのがいっぱいいて、「あれもダメ、これもダメ」と言うから、「それではもう、これとこれの分は、もうこれだけにする。ほんのわずかにする」と。逆説です、これだけ狭めると。これでいこうじゃないかと選挙に入ったんです。そうしたら総選挙(1996年衆議院選挙)の後に与謝野(馨)さんが仕切ってくれて、「こんなに狭くては困る」と言うので、割と望ましい形に戻せて、逆説が成功しました。

辻 分野を6ぐらいにかなり絞りましたね。あれは深謀遠慮ですか。

熊代 これだけ絞ったらみんな困るだろうというのでね。そのあとも我々すぐ選挙に入ったから、こっちは新人ですから忙しい。それで与謝野さんが、まあまあの格好にしてくれてました。「その他」というのも入ったし。結局、何でも良いと。ひとつは税の関係で、宗教法人とかありますね。あれも一種のNPO、広い意味でのNPOで、ああいうものも税金を取ろうという動きもないわけではないから。NPOからも税金取るし、準則主義にして宗教法人も税金を取ろう、莫大な収入が上がるし面白いだろうと。京都辺りに血の雨が降るかもしれないけど(笑)、面白いじゃないかと言ったんだけれど、それも過激だから、やはり公益というのをそっと忍ばせて、原則無税にしようと。収益事業をやったら税金が掛かるということにしました。社民党も、それからさきがけも、しわいですからいろいろ言うのです。それから辻元さんが当選してきて五島さんに代わったら、「何だ、これは。NPO取締法ではないか」と言い出した。私は自民党の中で反対があまり多いものだから、「これは名前を出して自由にやれというのだけれど、名前を登録して住所地を登録しているのだから、わけの分からないテロリスト集団が暗躍するよりも良いじゃないか。ちゃんと場所が分かるのだから。そういう意味で『大変だ、大変だ』と言うな」と言ったりするから、それは辻元さんから見れば取締法案だという形になるわけです。

辻 会員名簿の提出のことですね。

熊代 「それは取締が目的ではないから、できるだけそれは緩めましょう」と言って、彼女は一生懸命、緩めてくれました。そんなことがありましたけれど。とにかく議論に入ったら、(国会の)委員会に出したわけです。出す前は辻元さんが大活躍して。村上正邦さん、「尊師」が、なかなか「うん」と言わないわけです。私と廊下で会って「よろしくお願いします」と言うと「君は何党だ」と。要するに、こんな法律をやるのは民主党や社会党が利益を得るに違いない、と。そんな状況下で辻元さんが(村上さんの)自宅に行って、がんがん説得して、やっと出たのです。国会の委員会が始まったら、委員同士の議論が実にいいわけです。河村(たかし)氏が、今の名古屋市長が新進党案を出して、税の優遇も付けて。私もまあ税の優遇をつけるのは賛成だけど、自民党内部でどうしても通らないわけですよ。勢力があるんで。誰と言ったら宮澤(喜一)さんだ。宮澤さんが大御所で、税の優遇を相談に行ったんですよ。行ったらね、「そうですか。3年実績を積んで、それで免税するんですか、それじゃあ3年後にその文章は入れましょう」と言うんです。実にしわい。とにかく税収を上げようというのが財務省の考え方ですから。とうとう押し切られまして、「その文章はいいけど、3年後にその法案を入れましょう」ということで、そこでもう譲ったんです。それで河村氏と丁々発止議論した。それから奥田さんという議員、奥田敬和さんが大変感激して、「議員同士の議論というのはこれほど素晴らしいものかと私は感激した」とか言ってくれて、議事録にも恐らく出ていると思いますけれども。

それで今、(岡山)市議会で議員同士の議論をしようじゃないかと言ってますが、なかなか市議会ではならないわけです。市長部局がうわっと座っていて、それに今の市長はあまりものごとがよく分かりませんから、みんな局長がしゃべるわけです。議員提案の条例を出して「やりましょう」というのだけれども、なかなか皆さんのイメージが湧かないわけです。かなり議会改革になりましたけれど。だから皆さんが腰を抜かすように、区長公選、区議会を作って、岡山市議会は8人にするっていう、これを次期選挙の争点にしようと思って、全国に及ぼそうと。必ずそうせんといかん、というわけではないけども、できるということ、自治法と公職選挙法でやってもらえば、いいんだと思いますけれども。

辻 うかがっていると、かなり行政改革的なところが強いですよね。ですので、どちらかというとボランティア系で動いていたのが、行政改革的系で自民党内を切り替えていくということは、かなり厳しかったのではないかなと思うのですけれども。

熊代 そんなことはないです。NPOの理想は独立独歩、自分でやれる、収入も自分でまかなう。寄付金も寄付文化を醸成して集めてもらおうということですけれど。片やアメリカのNPOを見ますと、NPOというのは、私はいつも最広義に使っているわけなんですけれども、評判の悪い公益法人も含めていろいろあるでしょう、全部含めてですけれど。その大部分、3分の2ぐらいは役所から仕事をもらっているのです。3分の2かどうか、正確な数字は忘れましたけれど。入山(映)君がそんな本を書いていました。だから、「役所の下請けやりたいというのならやってもいいよ、あらゆるものがあっていいよ、自由なんだから、それでやりましょう」ということです。

行革でNPOが整理されることはないわけです。基本的に金をもらおうと思っていませんから。それでも介護保険をやるとか、新しいのできましたとか、いろいろ事業をやりたいのならどんどんやってください、役所の下請けでやるのも結構、自由にやるのも結構。これが自由の精神、あらゆるものができるようになる、そういうふうに説いていたのですけれど。

辻 非営利性の一点ですね。

熊代 非営利性というのは、ご承知のように、利益配当しないというのが非営利性の本質なのです。だから中小企業の経営者にそれを説いたら、「わかった。うちもNPO法人だ、一銭も配当したことがない」と言ってましたけれど(笑)。ただ配当しないということだけなのだから、それは企業の収益事業もやってもいいし、何をやってもいい。すぐ2分の1とか何とか条件をつけるので、私はあまり好きじゃなかった。まあ、あれは財務省にやられたな、おそらく(笑)。

辻 結構、財務省との格闘があったわけですね。

熊代 財務省とはいつも格闘してましてね。例えば子育てはフランスが見事にやったでしょう、少子化の流れを変えた。あれと同じことをやれば必ず日本も流れが止まるのです。それはわずか10兆円ぐらいでできる、あと5、6兆円出せば。それで私はいろいろ言うのだけれど、いつも財務省の主計局にこう、遮られるわけです。主計局の次長をやっていた藤井という人が論文を書いたのです。お嬢さんはフランス人と結婚をして、パリにいて、そこに行って研究して帰って来て。人口というのは政策によって変わりうる変数だと結論づけて、フランスではこうやっている、こうやれば必ず流れは止まる、と。まあ主計局に育ってこういうことが言えるのはたいしたものだという。国会図書館に行ったらそういう論文を見つけてくれまして。我々OBは国会図書館を自由に使えるのです。すっと入っていって、前議員バッジというのがありまして、個室を準備してくれて、パソコンが使え、机が使える、ソファーがある。行って「こういう本を見つけてくれ」というと、優秀な司書でしょう、こっちが探すよりもすごいのを見つけてくれます。現役よりも私のほうが、一番よく使っている。東京へ行ったら必ず使っているのです。

辻 河村さんとのやりとりとか、新進党との議論があるのですけれど、先ほどの宗教法人課税というところで、新進党は旧公明党が入ったりしているので、山本保さんの著書を読むと、やはりそこが一番シビアなところですね。いろいろと当時はあったと思うのですけれど。自民党の中は宗教法人課税みたいなことも議論があったのですか。

熊代 それは、やれたらやろうということは考えたのですけれど。野中広務さんとか、大変な血の雨が降るところですよ。でも広務さんもやれたらやろうとは思ってたんだけど。なかなか、あれはやるべきではないのかなとも。それ、宗教に介入するわけじゃないから、宗教事業やっているところに税金がかかるわけですから。お賽銭だってやたらに来るわけだから。

辻 そこは結構、新進党の肝というところだったとは、当時も感じていましたけど。結局、あそこはタブー視するようになってしまった。宗教法人に引っ掛かると、永遠にできないじゃないかという話で。

熊代 結局持ち出せなかったのです。財務省も腰が引けてたし。おそらく財務省はそれでひと喧嘩するのもかなわんと思ったのでしょうね。

辻 それで公益性を打ち出すのに低廉性とか、当時いろいろと出しましたね。熊代さんがいろいろアイデアを出されて。無償性に結構こだわったのだけど、無償性ではなくて低廉性ということでしたね。

熊代 私は、株式会社至上論ですから。人類のつくった組織で株式会社ほど優れたものはない、株式会社を拒絶した分野にはもう全部遅れに遅れると。宗教が然りでしょう、教育が然りで、農業が然り、社会福祉が然りで。それはもう私の哲学で、アダム・スミスなんですよ、利己心に勝る鞭はないと。ちょっとプラスアルファして「賢明な利己心に勝る鞭はない」にしたほうがいいでしょう。あとは、公益法人でないと働きたくない人もいっぱいいるのですね。公益というと胸が躍るけど利益というと罪悪視する人もいるでしょう。それは公益法人でやりましょうと。ただ役所へ入ると新人は、おそらくどこの省でも同じなのですけど、最初は公益法人担当なのですね、許認可の。それでいい法人がいろいろ来るのだけど、基本財産が1億円なきゃだめだとか、社団の場合は年間収入が少なくても1千万円は継続的に無いといけないと、そう言われると全然駄目なのです。それで残念に思ったので、政治家になったので、これを全て取っ払ってやろうと。「みんなボランティアでやるなら、なんで1千万もいるんだ、基金なんていうのは死蔵財産だから、そんな馬鹿なものはやめましょう」と。そうしたらこれはさきがけも社会党もびっくりしましたね。「50万円ぐらい必要なんじゃないですか」と言うから、「50万円貯めてどうすんですか」と。私は「いずれこれは50万法人ぐらいになるので、それが50万ずつ金を死蔵したらどんでもないことになる、一銭もいりません」とか言って、ついに押し切ってゼロにしたのです。

辻 それはすごく過激でしたね。

熊代 過激というか、常識でしょう、やはり。こんなところ50万貯めても、なんの役にも立たない。公益法人(改革)の最初の方には噛んでいたのですけど、NPO法人をこれに合体する、つまり特別法も本法に引き込むといと言うから、「馬鹿なこと言うな」と。馬鹿なこととまで言ったわけではないですけれど、「それは後だ、できばえによる」と言った。これは民法公益法人の特別法だから、親亀の上に子亀が乗っているでしょう。親亀と中間法人とを一体にするならそれはわかる。でも子亀まで引き込んでくれるな、子亀は親亀のできが良ければ合併するのでね。当時、法務大臣もやった千葉の中村(正三郎?)さんが合併しろとか、役所も合併しろと言っていたんです。「それはダメだ」と。あの人は中間法人を作って、それを一体にして非営利法人にしようとしたのです。だから、本体法人を2つ合併するのはわかるけど、子亀まで合併しないでくれと。子亀は様子を見てて、それに乗るか乗らないか判断するのが子亀のほうなのでね。そうしたら果たして本当に肩の凝るような制度を作りましたね。これではいけないというので、「合併しない」ということにしまして、あれは拒絶しておいて良かったな。今の公益財団、公益社団は、精緻なもの作ったけど、できばえが悪すぎる、複雑すぎます。入山君なんかはものすごく怒ってますね。

辻 もうひとつ、当時18省庁が11月に中間報告を出すのですけれども、あのときに我々も皆さんにいろいろとロビイング・働きかけをして、ぜひ議員立法でやってくれと。熊代さんは真っ先に「議員立法でやるべきだ」とずいぶん早いころからおっしゃっていたのですけれども、その辺のところは18省庁や(経企庁の)、坂本(導聡)さんとやり取りをされたのですか。

熊代 厚生省にいたら坂本導聡にはかなわないけど、私は議員でしたからね。私は「あなた方、なんか間違っているんじゃないか。議員立法とか差別的に呼ぶけど、立法するのは議員の仕事じゃないか。あなた方が仮に原案書いたとしても、それは政府提案の議員立法であって、立法するのは議員の仕事なんだ」と。私が役人のころは確かに法律は自分たちで作ると思ってましたけど、立場が変わって国民の立場で考えれば、良く考えればまったく違うのですよ。議員提案の立法というのは実に冷遇されていまして、最後の最後にやるでしょう。「これは間違っている。これは当然、我々がやる。あんたらからやりたいならやりなさい。良い案が出てきたら我々が取り上げてあげるから。しかしやるのは我々だ」と。もう立場は逆転してますから、「マムシの導聡」を一蹴して。

辻 「マムシの導聡」と言われていたのですか?(笑)

熊代 あの人はものすごいしぶとい、食いついたら離れない。

辻 そうですか。結構すごいんだ、あの人は。18省庁で結構まとめてましたから、当時かなりこれは手ごわいなと僕らは思ってたのですけども。

熊代 議員が受け付けないといったらどうしようもないじゃないですか。立法府なのだから、こっちは。だから中央省庁は自分たちが立法府だと勘違いしてるわけだ。ただ、やっこさんたちに作らせた方が精緻ないいものができるということで、内閣提出の法律を出しているのですけどね。ただ調べたら、議会制度のふるさとイギリスでは議員が大量に内閣に入るでしょう。だから議員提案の立法はわずかです。でも日本は違う。

辻 この間、橘(幸信)さんに伺ったのですが、95年11月に新進党が最初の法案を出します。ここにも書いてありますけども、「市民公益活動を行なう団体に関する法人格」という。河村さんなどが、何とか新進党で最初にあの法案を作りたいというふうに橘さんの所に来たという話をうかがったのですけれど。衆議院法制局ですから、議員さんが議員立法のために協力してくれといえば、当然お仕事で協力するわけです。そのあと、その翌年に今度は与党の方からやはり協力ということで、与党案作りの仕事がきて、また橘さんが受けたという話をうかがったものですから、そんなことは、可能なのですか。

熊代 それは、可能です。両方それぞれに作ればいいわけです。それは担当者を変えてもいいし。人が結構たくさんいて、遊んでるのですから(笑)。中身については、我々の言う通りにしか作らせないですよ。「法案化するのは、あなたがやりなさい」と。特に堂本さんが激しかったので、役所の人は法制局も含めて「来るな」とか言う。私は来てもいいとは思った。中身自身は我々が決めるから、私は法案を書いたんですけれども、法案の格好にする、それを精査するのをやってください、そういう話だった。だから法制局頼みではなかったのです、もちろん。

辻 新進党の方は最初に提出したいというので、取りあえずあまり中身はそれほど問わず、みたいな話でしたが、新進党の税制優遇のこだわりと言いましょうか、そういうことは出たそうです。例の新進党の「地域貢献スタイル」というのですか、要するに税制優遇するためには公益性を地域貢献と定めたという、どうも橘さんのアイデアらしいのですよ。その辺のところはいかがでしたか。

熊代 いや、申し訳ないけれども我々は新進党のやつは成立しないと思っているから、そんなに注意して聞いていない。関心がなかった。河村氏が面白い演説するなと思ったんだけど、中身については何にも記憶がないですね。もう我々のが成立すると思っていましたから。

辻 1997年秋に参議院に舞台を移したときに、問題となったのが法案の名称変更ですね。その辺は、熊代さんとしてはどのようにお考えだったのですか。

熊代 市民活動促進法案というのは私が考えたのですけれど、言われてみれば、定義からいえば、それは確かにおかしいわけです。非営利法人だから、その一部だというので特定非営利法人というのは、理屈からいえばそれはそういうのがあり得ますよ、正しい命名でまあいいじゃないか、名前は関係ないと言ったのですけど。内閣府の方で、その時に市民活動促進課とかという組織を作りました。内閣府もあの名前はいいと思ったんじゃないですか。内閣府の組織として、私の考えた法案の名前が残りましたけれど。名前はどっちでもいいから、別にこだわらなかったですけれど。

辻 参議院の村上正邦さんとか片山(虎之助)さん対策だという話はいろいろとうかがっているのですけれど。片山さんとは同じ岡山ですけれども、その辺はどうだったのですか。

熊代 理屈を言われれば向こうの言う通りだから、これはしょうがないじゃないですか。(片山さんに)、別に陳情にも行かなかったし。もう法律ができればいい、法律の名前はもうお任せ、というような感じでした。民主党政権になって、税制とかいろいろなことがだいぶ進みました。良かったんじゃないですか。

原田 与党3党プロジェクトの中で何度か、熊代私案という形で法案を提出されていたと思うんですけれども。一番最初が95年の9月と、かなり早い時期で出されていたと思いますが、その時はどなたかと一緒に法案を組み立てたのでしょうか?

熊代 私が自分で書いたんです。社会福祉法人法か何かありますね。あれをパソコンに入れて、要するに入力が面倒くさいから、それを入れて、それを修正でできないかと思って、いらんところは削って、自分の考えに合うものを作ったんです。

原田 それでは自民党内でチェックをする前ですか。

熊代 そうです。でき上がった時に自民党の何部会あったか、8部会ぐらい回って、行くとさんざん叩かれるわけです。どの部会に行っても、こてんこてんに叩かれるわけです。ものすごく私がやられているように傍目から見えたんだけれど、自民党というのはどの部会も自由に出られるんで、こてんこてんにやっつける人間は決まっているわけです。ここでもやる、またここでもやる。同じ人が出てくる。例えば、認証期間を1月延ばしましたよね。「3ヶ月以内に認証する」というのは「4ヶ月以内」としたパブリックコメントみたいなやつです。あれは長勢甚遠さんだったかな、「悪い法人ができたときにみんなでやっつけにゃいかん、1月延ばして公表して、国民の判断を仰げ」と、まあ1月くらいならいいかと。

辻 縦覧にかけるわけですね。

熊代 そうです。こちらはとにかく、最初はさきほど言った性善説ですから、なんでもいいと。やったら、確かに岡山で暴力団が3系統あるんです。全部、環境のNPOを作りました。

辻 廃棄物関係ですか。

熊代 そうですね。取消処分か何かになりましたけれど。それはそれでいいので、取消処分にしてしまえば。

原田 95年の後も何度か熊代私案という名前で法案が出されて、その時どきで文面のニュアンスが変わっていったと思うのですが、それは自民党の議論を踏まえてですか。

熊代 自民党ではなくて、与党の議論ですね。自民党には完成案を出したのです。自民党に事前に相談したら収拾がつかないから。

辻 自民党内でそれほど議論というか、これについて議論というのはあまりなかったのですか?

熊代 作るときですか?作るときは私たちに任せっぱなしです。加藤さんが政調会長から幹事長になったんです。加藤さんが自民党のNPOの委員長だったのです。私が事務局長だったのですけれど、加藤さんには時どき報告していたけれど、基本的に加藤さんの方が熊代に任せっぱなしで。元々、同学年なのです。役所を呼んで、案を出したり勉強会をするのですけれど、最後には私しか来なくなって、誰も来なくなってしまって。最初は新聞に出るからわっと来るわけです。それで各党でやったらものすごいカメラが来たでしょう。2度目からはカメラはゼロだし、そうしたら他の委員は全然来なくなるわけです。ついに私ひとりで会をやっているわけです(笑)。だから成案を、役人を相手に作る以外にないではないですか。

辻 加藤さんが政調会長、その後幹事長で、自民党内のNPO特別委員会というのですか、そういうのがあって、熊代さんが「自由にやってよろしい」ということですか。

熊代 そうそう。彼の後ろ盾がないとちょっとだめでしょう。私も結構信用があったから。「まあ、熊代がやっているから、そう無茶はやらんだろう」と。今申し上げたような激しいことを考えているとは、みんな思わなかったから。激しいことではない、当たり前の話なんですよ。許可しないとか、認証しないときは必ず文書を出す、それはいいことではないですか。だから、これをやってから各分野が全部そうするようになりました。それから、基本財産がゼロでいいと言ったら、とたんにびっくりして、いまの経済産業省が「株式会社は1円起業でいい」とか言い出したのです。してやったり、ですね。1円起業が実現したわけです。株式会社を作りやすくなったね。

辻 当時、僕らは不思議に思っていたのですけれど、熊代さんが我々シーズなんかでシンポジウムをやると、気軽に堂本さんなんかと並んで出てこられて、結構いろいろと自由な発言をされているじゃないですか。そうするとそれが自民党の試案みたいな形で出てくるというので、党内はどうなっているのだろうという話をしていましたね。

熊代 党内は任されているんですよ。文句をつけるのは最後の最後だから。最後の最後を仕切ればいいんです。最初はみんなも関心をもっていたのだけれど、メディアが関心を失った途端に、もう出てこないですよ。もう1人でやるより仕方がないですよ。

辻 関心が続かないということは、自民党内で、逆に言えば「そんなに重きをおいた法律じゃないのだから」と思われていたということですか。

熊代 重きはおいていなかった。ただ民主党にやられるなと心配していた人は多かった。だから人を集めてNPOに興味を持っている団体を集めて、いろいろやったことはやりました。

辻 当時の自民党の議員の大方の人は、この法律のことは、実はあまり理解されていないし、たいしたものじゃない、選挙にはあまり関係なさそうだと考えている、というのはよく聞いたのですけれど。

熊代 民主党の票を増やすんじゃないか、とか。それで毎週毎週、会合をやられたのではかなわないと、そのうち出てこなくなっちゃって。出てこなければそれは任せていただいたのと同じで、それで自由に発言して、発言した通りにやっていく、だいたいそんなものです、どこもかしこも。イギリスだって議会を見ていると法案を出す委員会というのは日本で言えば副大臣か政務官みたいな人が1人で対応しているのです。それと議員が5、6人いて、別に役人が原稿を書かなくても1人でやっているのだから丁々発止やれるわけです。それでいいんですよ。最後のときはみんな文句を言う、それをどう乗り切るか、ですね。

原田 その最後の部分で乗り切れたというのは、やはり加藤さんの後押しですか。

熊代 加藤紘一さんと、それから加藤紘一さんの盟友の山崎拓さんがいるんですよ。拓さんが政調会長になった。2人とも、がんばってやってくれたということがありました。鈴木宗男さんとか、長勢甚遠さんとかが、あらゆる部会で激しく反対するわけです。演説もうまいから(笑)。宗さんは同じ派閥だから、心配はしているのでしょうけれど、心配することはないですよ。同じ派閥なんです。あの人はしかし、ものすごく面倒見のいい人なんです。グラウンドゼロの跡を見舞いにアメリカに行ったのです。ダボス会議がありましたね、ダボス会議に副大臣として出席するので、鈴木さんのところに挨拶に行ったら、すぐ外務省に電話して、「熊代君が行くようだから向こうの消防団長を日本に呼んで、その話を聞く旅費を持て」とか言って、私が思いもしないことをすぐ実現するのですよ。

長勢甚遠さんは「悪い団体が出る」ということですね。顕著に記憶に残っているのはそれです。あとはそれぞれ、いろいろ反対はしてきたでしょうけれど。私らの同期で官房長官をやった、日銀のOBの塩崎(恭久)さんなどは賛成です。

辻 自民党の話で思うのは、熊代さんをフォローするというか継ぐというか、もう一人いないというのが不思議だったのですけれども。やはりそれは無理だったんですか。

熊代 さあ、どうですかなあ。塩崎さんは当選同期でNGOに興味がある。NGOも広義のNPOですから。NGOではいっしょにやってましたけれどね。官房長官なんかやって、ちょっと彼は偉くなりすぎちゃったから。野田聖子ちゃんなんかは最初出てたんです。でも聖子ちゃんも大臣になったりいろいろ偉くなりすぎて。逢沢(一郎)さんなんかも最初は出てたんだけど、あの人も議会の方で偉くなっちゃったからね。まあ、一段落ついたから、もう、そうやることはないと思ったんじゃないですか。

辻 結局、加藤紘一さんと熊代さんのコンビでずっと来ていたということですか。

熊代 今はもう連絡とってませんけれど、それはまあ、そうですね。任せていただいたということですね。でも、肝心の時はいい演説をしてくれました。彼は。総理大臣になれなくて残念でしたけれどね。ちょっと、フライングでしたね(笑)。

辻 あのとき(いわゆる加藤の乱)は我々もガックリきたんですけれど。(寄付税制が)できる直前までいきましたから。

熊代 自分が自民党の派閥の長として派閥の人たちに支持されているというのを分からなかったのですね。本当に加藤紘一を支持してくれていると思ったけど、民主党と結んでの加藤紘一は、派閥の人はみんな「だめだ」といって拒絶反応でしたね。メールが、ものすごく加藤支持のメールが来たみたいですけれど。野中さんは『インターネットに狂った加藤紘一』とか、論文を書いていましたね。

辻 あとは、最後の参議院の時に、議院立法としてとても理想的な議論を展開されて、当時、関わった方は共産党も含めて、こういうあり方がいいというような、ある意味では議院立法として非常に、鑑みたいな感じなのですけれど。ああいう議論の仕方といいましょうか、超党派で自由に議論して、議員同士で議論してという体験は、その後、なかったという感じなのですけれど、どうでしょうか。

熊代 私はもうフォローしていないから、よくわからないけれど。2005年に辞めましたから。もう7年になるか。やろうと思えば、なんでも、いつでもできるんじゃないんですか。そういうテーマがあって。今のインフレターゲットでもやればいいんじゃないですか、議論を。

原田 NPO法の後、NPO議連が結成され認定NPO法人制度ができたわけですが、熊代先生が議連の事務局長をされていたと思うのですけれど、そのときにいろいろ反対が起きていたと思いますが、どういうプロセスで話を進めていたのでしょうか。

熊代 いずれにしろ(税制については)3年以内にはやるとは言っていたんです。3年以内にやったわけですよ。

辻 議連ができたのが99年ですか。当然、税制に関わるところなので、当時は財務省ですか。あと、党税調をどうするかという話があったと思うのですけれど。

熊代 党税調を仕切っているのは財務省OBなんです。当時は、山中(貞則)さんはもういなかった、少なくとも出てくるような立場ではなかった。もっと下の人がやっていた。伊吹文明さん、それから津島(雄二)さんあたりですか。財務省が我々にも一生懸命根回しするのだけれど、そっちの方にも根回ししているわけね。だから、彼らがウンと言わないと、伊吹・津島もウンと言わないわけです。だから鉄の財務省といわれて、なかなかうまくいかない。担当課長とかがオーケー言ったやつは、根回しが行ってるからうまくいくんですけど。

辻 基本的に、当時の財務省は認定NPO法人制度には反対だったのですか?

熊代 そうでもないじゃないですか。やろうとは思っていたからね。ただあまり過激なものは困るとは思っていたでしょう、例えば税額控除とか。ただアメリカの制度のように、前からちょっと彼らも一生懸命勉強したわけですよ。最初から認定法人をやると、3年間仮免許で、3年したらきちっと調査する、パブリック・サポート・テスト。それをやるというような制度がいいですねと言って、議論はしていたんですけど、仮免制度。それはいいと思う、最初はもう性善説でやっていって、実績をみる。

辻 仮免制度はなぜつぶれたのですか。

熊代 それはおそらく、役人が思っても、今度は逆に税調のボスが「ちょっとひどいんじゃないの」という話になったんじゃないですか。税調に出るまでに至らなかったですね。おそらくボスに根回ししたら拒絶されたんじゃないですか。

辻 その中で、自民党内にNPO特別委員会みたいものを一方で設けますね、あれはやはり税調対策ですか。そうでもないですか。

熊代 そんなことはないです。それはそれなりに力をもっていた。あらゆるものは最後は、税に関しては税調にいきますけど。だから、よく一生懸命、発言していたんですけども、伊吹さんなんかは、最後に「熊代君は意見があるんじゃないの」とか言うわけです。もう財務省から聞いてるわけです。これはもうグルだからしょうがないと…(笑)。自民党はそういう点は弱点と言うか、強い面もあるし、弱点でもある。民主党はもう少し財務省とは離れてはいるけど、ただ、菅さんも野田さんも完全に財務省の説得力に屈しましたね。あの、日本を支配している財務官僚を味方につけたいと思っているわけね。財務省は主査を教育していましてね、主査も命がけでね。「各省担当主査は、各省の役人よりも、その行政に詳しくなる、そういうことを目標に我々は勉強してるんです」と。国会答弁も必ず主査に事前に持ってこいとチェックされて、めったなことを書けないわけ。私は厚生省で国会答弁担当しましたから、コンチキショウと思うんだけど。だから、こちらは深夜までいつも調整してるわけです。

原田 特に税の話だと去年の大幅な改正でようやく寄付税制というのが導入されと思うのですけれど、それまで10年かかってしまったという原因は、ひとつには自民党内の反対というのが大きかったのでしょうか。

熊代 それはあるでしょう。財務省は慎重に考えているでしょうからね。

辻 今日はありがとうございました。