巻頭インタビュー「NPO法で目指したこと」

松原 明 (認定NPO法人シーズ・市民活動を支える制度をつくる会理事)

・インタビュー日時; 2017年7月24日
・インタビュー担当; 辻利夫(NPOまちぽっと)

 

― NPO法は1998年3月に議員立法で制定されました。松原さんは1994年11月に市民活動を支える制度をつくる会=シーズを立ち上げ、立法運動を先導してきたわけですが、立法運動に取り組まれた動機はなんでしょうか。

NPO法の立法を志したのは、1992年頃になります。それまで、東チモールの独立支援などのNGOで活動をするなかで、日本のNGOは欧米諸国だけでなくアジア諸国のNGOに比べても、活動も組織も資金力も、マネジメントも脆弱であり、世界から遅れていることを痛感していました。

これは国内の福祉、環境保全、教育、人権擁護、まちづくりなどの市民団体、NPOにおいても共通しており、日本の市民社会の構造的な問題ではないかと考え、日本のNGO、NPOが遅れていることの原因を分析しました。ほとんどが任意団体で、意思決定過程が法的にルール化されていない、活動・組織のマネジメントが確立していない、社会的信用が低く認知されていない、などの多くの原因が考えられました。このなかでも、いちばん大きいのは市民活動を強くし促進する法人格などの法的制度がないことだと考えました。そこで法人格の取得、税優遇などのツールを制度化する運動を始めたのです。海外のNGO、NPOの活動を見ていれば、日本でもできると確信していました。

実際、シーズを作って3年半でNPO法を制定できました。2001年には課題だった寄付控除税制である認定NPO法人制度が制定され、その後も改正を重ねて、2012年改正では税額控除制度も入り、法人制度と税制度の統一や、情報公開の核となる会計基準の制度化も終わりました。ちょっと時間はかかりましたが、私の立てた目標はほぼ達成できました。

 

― NPO法制度は日本の社会をどうように変革しましたか。

第一に、社会のNPOに対する見方が変わったことがあります。市民活動やNPOの活動は、一部の左翼的で異端な人たちがやっていることだろうなと思われていた社会の意識が、NPO法ができたことで大きく変わりました。

第二に、自治体の意識が大きく変わったことです。NPO法を作るにあたっては、国が一元的に認証基準を決めてしまうリスクを回避するために、NPO法人の認証を国だけでなく、都道府県でもできるようにしたのですが、自治体が当事者になったことにより、自治体と市民活動、NPOとの接点が広がり、自治体・地域の意識が大きく変わりました。それまでの公益法人制度のように国の所管のままでいたら、自治体は当事者意識をそれほど持たず、積極的に動かなかっただろうと思います。

第三に、NPOセクターに新しい人がどんどん入ってくるようになったことです。法制定時の経済企画庁の調査で、法人格を持たない約5万の市民団体のうち1万団体が法人化するという報告がありました。ところが既成の団体の法人化を上回って、新しく団体をつくって法人化するところが次々と増えていきました。NPO法を契機に新しい人たちが、市民活動の領域にどんどん参加するようになったのです。

第四に、NPO法制定を受けて、NPO支援が社会の大きなムーブメントになりました。各自治体はNPOへの支援策を競い、助成財団はそれまで主に研究者向けの助成をしていたのが、NPO向けの助成を新しく設けるなどが盛んに行われました。企業のCSRでも、NPO支援が大きなメニューの一つとなっていきました。

第五に、これが一番重要かも知れませんが、社会を変えていく主体は誰かという問題への認識の変化です。NPO法が出来る前は、公益活動は、政府の独占事業でした。公益法人も政府の許可の下でしか活動できませんでした。NPO法は、法案をつくるときに公益論争があり、誰が公益を決めるのか、という議論が延々と行われ、最終的には、政府が決める公益と同時に市民が自律的に担う公益があり、それがNPO法の対象であるという結論を出しました。ただし、この法の精神は、直ちに、社会に浸透していったわけではありません。

自治体が当事者としてNPO法人の認証、市民活動の支援・協働などの施策に熱心に取り組んだ背景には、地方分権一括法がNPO法と同じ時期に制定され自治体の権限、政策領域が一挙に増大したことと、介護保険法ができて自治体が高齢者介護の主体となり介護の社会化を担うことになったことが大きかったと思います。つまり、国からの分権により自治体の施策への市民の協力が必要になり、市民活動との協働を志向することになったのです。

こうした自治体の対応はNPOへの社会的認知を高めた一方で、NPOは行政サービスを補完するものとして位置づけ、行政が利用しやすいかたちでNPO制度を運用するという行政主導の動きも現れていました。NPO法で目指したのは、行政主導ではなく、市民のニーズをより継続的・専門的に政治や社会に反映でき、社会参加のルートとなりうる市民活動を強化することです。市民社会の課題解決に市民が主体的に関わる、そのツールがNPOであるという論理と、行政主導でNPOはその補完とする論理がぶつかりあったのがNPO法の立法とその後の普及の過程です。そこでは、これからの市民社会をどのようにつくり直していくのかというビジョンの選択が本質的なテーマでした。NPO法というツールを利用することによって、新しい市民社会のビジョンが広く社会に提起され、受け入れられていくことになったのも、NPO法が生み出した大きな社会変革だと思います。

 

― シーズなど市民団体が持っていたNPO法制度の立法過程の資料を公文書として国立公文書館に保存し公開することにどのような意義がありますか。

2つの意義があると思っています。議員立法の記録についていえば、議員は法律ができるとほとんどの人が資料を廃棄して、残っていないといわれています。NPO法では堂本暁子さんが資料を保存ししていたのは、きわめて例外的なことです。市民と議員が共同した議員立法でも、議員だけでなく市民団体の立法資料もまとまって残っていないし、残っていても活用されていないというのが実態です。

やや哲学的にいえば、存在とは歴史的構成物です。法律という存在も歴史的構成物として、法律の内容やその意義を理解するには、どのような歴史的経緯と立法プロセスからできたのかを明らかにして知ることが不可欠です。こうした認識があったことと、NPO法では実現できなかった宿題がいくつかあって、制定後も改正が必要になることも視野に入れていたので、NPO法がどういう歴史的経緯でつくられ、どういう情報をもって形作られてきたのか、シーズとして最初からきちんと資料を残し検証できるようにしておくことにしました。市民・議員立法ですから、普通の閣法と違い、行政は責任を持って法律を見守ってくれませんし、行政に任せれば、また行政主導の法律に変えられてしまう危惧もあります。市民が社会変革を担うということは、世代を超えて法律の改正などが引き継がれなければなりません。市民が情報を引き継いでいくには、情報を公開して、パブリックなものとするのが一番いいやり方です。

もう一つは、NPO法は議員立法ではあるが、実質的には市民立法としてつくられたと思っています。その経緯、プロセスの記録を公文書として残し公開することにより、今後、市民立法を志す人たちに有意義な先例となると思っています。その点でも、資料をパブリックにできる公文書館での公開はとても意義があると考えています。

今後も、今回の公文書館への寄贈・収納の経緯を先例として、多くの市民活動の社会的資料が公文書として認知され、公開されていくことを期待しています。

 

(インタビュー日時:2017年7月24日)