連続企画第4回は、「NPOと政治」にもつながる「NPOとシチズンシップ教育」をテーマに開催しました。まとめはシチズンシップ教育の実践という面からも、第3回に続いて登壇者とご来場者の皆さまを交えたワークショップ形式で行なっています。    *肩書きは開催当時

第1部;シチズンシップ教育と市民活動

坪郷 實氏(早稲田大学社会科学総合学術院 教授/認定NPO法人まちぽっと理事)

第2部;NPO法制定過程を事例としてシチズンシップ教育を考える

原田峻(立教大学コミュニティ福祉学部 コミュニティ政策学科助教)、辻利夫(まちぽっと理事)

第3部;パネルディスカッション「NPOとシチズンシップ教育」

関口 宏聡(シーズ・市民活動を支える制度をつくる会 代表理事)、新田英理子(日本NPOセンター事務局長)、三木 由希子(情報公開クリアリングハウス 理事長)、坪郷 實<司会>

第4部;ワークショップ報告(ご来場者)

  • 日時:2017年2月11日 14:00~17:00
  • 会場:快・決いい会議室ホールB(新宿)

 

 

 

 

 

第1部:シチズンシップ教育と市民活動

登壇者

*坪郷 實氏(早稲田大学社会科学総合学術院 教授/認定NPO法人まちぽっと理事)

 

本論

このプロジェクトは、NPO法制定時の10年間の資料を基にしたものです。NPO法ができたことによって、NPOというとNPO法人に限定する議論が一方で出てくるようになりました。一連で行なってきた4回の連続企画でも焦点になりましたが、NPOという言葉を使ったとしても、それはより広義の意味で、市民活動あるいは市民社会や市民セクターという広い視野を持って議論することが必要だと思います。シチズンシップ教育について、この場ではデモクラシー教育あるいはデモクラシーの担い手をつくりだす教育というように考えます。皆さんご存知のように、近年は主権者教育という形で議論されるようになっていますので、それとの関係も後でお話します。

現在の日本と世界におけるデモクラシーの状況について、ごく簡単に見ていきます。この間、特に1970年代以降の情報化・IT化・SNSなどの新しいメディアの台頭により、新たな社会状況が生まれてきましたが、その中でデモクラシー自体の問い直しが出てきました。ポスト・デモクラシーという議論が以前からあります。いろいろな見方があるのですが、基本的に、デモクラシーというのは政党政治を主体に考えます。政党がさまざまな政策を媒介する、あるいは政党と大きな利益団体との関係性の中で新たな政策や制度がつくられていく、これがデモクラシーだという見方があったわけです。この仕組み自体がある意味で限界に来ているのではないか、政党の役割は依然として重要ではあるが新しい要因も生まれているのではないか、という議論が出てきています。それは例えば、NPOやNGOからの政策提言活動がデモクラシーにとって重要な役割を果たすのではないかということも関係していると思います。

さらに2016年が象徴的な年だったかもしれませんが、イギリスのEU離脱を決めた国民投票、アメリカのトランプ政権の登場など、ポスト・トゥルースと呼ばれる状況が生まれている。それは、真実あるいは事実に基づいた議論ではなく、感情を前面に出した議論で政治や政策が決まっていく状況が起きている。これについてどう考えるのか。政党や政治に対する不信という問題もある中で、ポスト・トゥルースを含めた、市民やジャーナリズムによるファクトチェックが重要になってきているのです。このような状況の中で、新たなデモクラシー教育が重要になってきています。日本でも、このような課題が出る以前からシチズンシップ教育について10数年ほど議論が行なわれてきました。さらに18才選挙権との関係で主権者教育の議論が生まれています。

現在のリアルな市民社会を見てみると、市民社会の中に分断や亀裂が入っている状況が生まれています。これに対して政党政治はどのような対応が可能なのかという政治状況があります。「再国民化」と呼ばれるような新たなナショナリズムの概念が生まれ、難民や移民を排斥する動きが出てくる一方で、難民支援や国際協力を行なう市民活動が活発化する状況もあります。現在の市民社会の動きは、このように異なる動きになっています。

リアルな市民社会は、「自由・平等・友愛を常に奏でる理想世界」ではありません。その中には先ほどのような様々な動きがあり、暴力的な形になることもありますが、多くはこれまでの市民社会の運動手法に乗ったものとして出てくる。それに対して、市民社会自身が再生能力のある民主的な存在であることが可能なのかということが問われています。

このように見てきますと政治的には、3つの方向があります。一つは、これまでの「政党政治」です。保守・リベラル、日本ではあまり定着していませんが社会民主主義については、近年にグローバリゼーションなど国際的な新自由主義の影響を大きく受け、変容してきました。これに対して、一方には、「右翼ポピュリズム」と言われる例えば複雑な問題を単純化しスケープゴートを立てるなどして、既成政治への不満票を集めて、選挙で台頭してくる動きがあります。他方では、先ほど話した市民社会の中で、市民活動、社会運動、協同組合、労働組合などの市民が主体となった「市民政治」の動きもあります。この3者の関係性で考えることが、一つの見方ではないかと考えています。このような観点から、本日はシチズンシップ教育と市民活動について議論していきます。

ご存知のように、日本においても2016年に18歳選挙権の導入がなされようやく世界的な水準となりました。これが大きく動くきっかけになったのは、第1次安倍政権下での国民投票法でした。日本の主権者教育について簡単に見ていきますと、18選挙権の導入に際して文科省と総務省が共同で「主権者教育のための副読本」をつくりました。副読本の作成にあたっては、もちろんシチズンシップ教育や主権者教育をテーマに活動を続けてきた市民活動団体や研究者なども関わっています。しかし、中身を見てみますと模擬選挙や国民投票、自治体議会を含めた請願や模擬議会などは出てくるのですが、必ずしも広く政治を捉えているわけではなく限定性がある。さらには、最近問題になっている「政治的中立性」という大きな課題があります。

政治の場としては、NPOによる政策提言活動、署名・集会・デモ、自治体レベルでの政策作りへの参加、国政レベルにおける政策作りへの参加など広く捉えることができます。このように政治を広くとらえて、主権者教育やシチズンシップ教育が行なわれることが必要だと思います。また、「政治とは最終的には熟議を経た上での妥協によって政策・制度の結論を出していく」という見方についての共通項を作っていくことが一つの課題になると思います。

それでは、この間に主権者教育やシチズンスップ教育というものは行なわれていなかったのか? これまでも学校教育の中でシチズンシップ教育は行われていましたが、政治的中立性との関係で知識を教えるものであっても価値観や政治的な争点を問うという形では行なわれてこなかった。知識偏重であったとも言えます。しかし、その中で日本のシチズンシップ教育は問題解決型の多様な分野の市民活動によって、むしろ実践的には行なわれてきたのではないかと考えられます。それは自治体レベルにおける政策作りへの市民参加、例えば「まちづくり」を通じて市民が様々な能力を獲得していくということが行なわれてきたのではないか。このプロセスの中では、既存情報に加えて独自の調査研究を行って新たな情報の獲得をし、多様な情報を整理しながら様々な意見の比較によって判断力を習得する。さらに、政治に具体的なかたちで参加するツールを獲得する。このようなことが実践の中で行なわれてきたと考えられます。

こうした実践は、一つには政策型思考に習熟し政策提言能力を高めることを目指していたと思います。その意味で、市民社会の基盤整備とシチズンシップ教育/市民性教育は両輪であり、これにより強い市民社会を形成する試みが行なわれてきました。このような実践が行なわれていたということを踏まえて、日本のシチズンシップ教育/市民性教育はどのような定義づけができるかというと、1990年代以降の世界の新たな成果を吸収しながらこれまで行なってきた議論の流れでは、「批判力を含む政治的判断力を発揮するための知識・技術・態度を獲得し、政治活動をする市民を形成するもの」ということになります。

これまでの学校教育との関係では、人権教育や持続可能な発展のための教育、近年ではダイバーシティ教育などを包み込む形でのシチズンシップ教育がこれから実践されていくことが重要です。日本においては、政治的中立性の議論を進めていく必要性があると思います。もともとは教育基本法でも政治教育の重要性は上げられていましたが、学校教育の中では政治教育自体は知識のみを教える非政治的なものであるという見方が定着してしまい、それ以上のことが行なわれなかった。今回、主権者教育という議論が出てきたことによって変わりつつありますが、それが十分に定着して新しい流れとなっていくのかは今後にかかっています。

政治的中立性については、ドイツの政治教育の研究者や教員たちによって作られた「ボイテルスバッハの合意」が参考になります。この合意では次の3点が重要です。①「生徒を期待する見解をもって圧倒し、自らの判断の獲得を妨げてはならない」、②「学問と政治において議論のあることは、授業においても議論のあるものとして扱わねばならない」、③「生徒は、政治状況と自らの利害関係を分析し、自らの利害にもとづいて所与の政治的状況に影響を与える手段と方法を追求できるようにならなければならない」(近藤孝弘『ドイツの政治教育』岩波書店、2005年を参照)。

これからは、具体的な政治的争点を取り上げて、自ら情報を収集し、批判的に考え、議論を通じて問題解決を行うことで、生徒や学生を主体として自らそれらの能力を養っていく「政治的なリテララシー教育」が重要になります。

すでに日本でも、学校単位、地域単位、NPOなどで行なわれてきたシチズンシップ教育の試みには10数年の蓄積があります。それを加速させていく、あるいは新たな局面を作り出していくことが重要です。具体的にはどのような中身かというと、例えば「政治を多面的に見る能力」「個々の政治決定の意図しない結果を問う能力」「メディアが政治を演出する論理とメカニズムを分析する能力」「よりましな政治的選択を見抜く力」などが例示できるのではないかと思います。このような方向のシチズンシップ教育を定着させることが第1の論点です。

第2の論点として、学校教育では当面は高校生に焦点が当たっているわけですが、小学校からの継続的な教育である必要があるのではないか。しかし、教員の研修プログラムや政治的な争点を取り上げる授業の教材作りは、教員のみでできるわけではありませんので、専門家やNPOなどの協力による必要があると思います。国際教育の分野では、すでにこのような教材は作られています。

第3の論点は、より広義なシチズンシップ教育は子どもだけではなく成人や高齢者までの多様な市民のための継続的教育であり、むしろ主権者教育やシチズンシップ教育を受けていない大人への教育の問題を考えるべきだということです。それは当然、多様なNPOなどの市民活動への参加、自治体における政策作りへの参加などが、その実践の場となります。以上の3点が今後重要になってくるのではないかと考えています。

 

第2部:NPO法制定過程を事例としてシチズンシップ教育を考える

登壇者

*原田峻(立教大学コミュニティ福祉学部 コミュニティ政策学科助教)
*辻利夫(認定NPO法人まちぽっと/旧NPO法人東京ランポ)

 

 

 

本論

原田 ここからは、NPO法制定過程を事例としてNPOとシチズンシップ教育を考えていきたいと思います。CiNiiという論文検索サイトで検索をしてみると、「シチズンシップ教育」ないし「シティズンシップ教育」という言葉は合わせて約400件出てきました。80~90年代には1件しかなく、残りの約399件は2000年代になってから出てきています。このように「シチズンシップ教育」という言葉自体は、イギリスやドイツの影響を受けながら、主権者教育とも絡んで2000年代以降に広がったものと思われます。一方で、先ほどの坪郷先生のお話に出てきたように、市民が政治的な争点を取り上げて知識を獲得していき、それに基づいて政治的に行動するという営みは、80年代、90年代から行なわれてきました。

ここではNPO法を市民が作り上げた過程が、そのような意味で市民によるシチズンスップ教育の萌芽であり前史だったのではないかという視点から、NPO法制定過程を再評価するかたちでお話をさせていただきます。時間も限られていますので、今日は論点を3点用意してみました。1点目はNPO法制定以前の市民団体が、どのようにNPO法に関する知識を獲得していったのか。2点目はNPO法人シーズ・市民活動を支える制度をつくる会(以下、シーズ)が結成される直前の頃に、どのように他の分野やセクターと連携していったのか。3点目はシーズが結成された後に、ロビイングを行う知識や技術をどのように獲得し、伝えていったのか、ということです。これらを通して、NPO法制定過程をシチズンシップ教育という視点で再評価したいと考えています。

ここからは、私が資料に沿って説明をしていき、その中で当時実際にこの活動に関わっていた辻さんからコメントを加えていただきます。

まず、NPO法制定の前史のお話から始めます。連続企画の第1回でお話した国会・政党に関する部分については割愛します。阪神淡路大震災が起きる前、「自さ社政権」が作られ政治の世界でもNPO法立法の動きに関しての議論が取り上げられてきた頃、同時に市民団体の中でもNPO法について議論されていた時期が1990年前後でした。具体的には、総合開発研究機構(NIRA)の助成を受けた市民公益活動の調査グループ、辻さんが所属した東京ランポの市民活動に関する研究会(これが後にシーズの母体の1つになります)、市民フォーラムや自由人権教会、そしてNIRAのグループの前史として日本ネットワーカーズ会議などが、1980年代後半から1990年代前半にかけて形成されていました。また、政策提言を行なったシーズと同時並行で、芸術分野や福祉分野でもその動きがありました。

興味深いことに、この頃に登場した市民団体関係者の方々のほぼ全てが、アメリカかイギリスへ視察した経験を持っていました。これについては、東京ランポに所属していた林和孝さんが当プロジェクトのインタビューで整理して下さっています。まず、市民活動やまちづくりの分野を対象に林泰義さんを中心にアメリカに視察に行った。また、山岸秀雄さん等がスタディツアーを組んでいた。それらと同時に、アメリカ側では柏木宏さんなどが設立したJPRN(日本太平洋資料 ネットワーク)という団体が情報を日本へ送り届け、情報交換が行なわれていた。1990年前後はこのような形で、市民レベルで主にアメリカのNPO法の知識を獲得していました。

このように1995年の阪神淡路大震災になって、いきなりNPO法が出てきたわけではなく、その前史で市民団体側が政府に対抗できるレベルの知識を獲得していたということが大きな前提としてあると思われます。一点目として、1990年前後のご説明をしましたが、それについて辻さんのほうから補足コメントをお願いします。

 

辻 私は東京ランポという団体を1993年の1月に立ち上げました。そこでの目標は、いま話題になっている豊洲を含む東京の臨海部副都心開発に対する市民案の作成、そしてNPO法を作ろうという2つでした。

東京ランポという組織には、東京の生活クラブ生活協同組合がある種のスポンサー的な立場で関わっています。その生活クラブ生協が1992年にアメリカに市民事業の視察に行ったのですが、その時に出会ったのがNPOであり、事業系のCDC(Community Development Corporation)という、いわゆる「まちづくりNPO」でした。それを受けて、東京ランポはまちづくりNPOの調査研究に取り組み、イギリスでもDT(Development Trust)という非営利組織が、まちづくりの分野で盛んに活動していると知り、イギリスDTとの交流を始めました。そうしたなかで日本の「まちづくりNPO」の可能性に注目をしたわけです。このように、東京ランポはもともと「まちづくり」の分野で、中でも特に「市民参加」を切り口にして取り組んでいました。

当初は、NPO法と「まちづくり」がうまくつながっていませんでした。市民による「まちづくり」の活動は、1980年に都市計画法が改正されて地域で市民が参加して地区計画作りを行なうことが可能になったことがきっかけでした。地区計画の執行に当たっては条例を作るということで、1980年に神戸市が最初のまちづくり条例をつくりました。その翌年には、世田谷区でもまちづくり条例ができました。全国に先駆けて、まちづくりに市民が参加するというアプローチができ始めていて、その中で東京ランポの事務所のあった世田谷区で三軒茶屋の再開発で当時有名になった「太子堂まちづくり協議会」のような会が、バブルに向かった社会情勢の中、開発に関する紛争のなかで形成されてきました。

もう一つは「まちなみ再生」です。例えば川越の都市計画道路では、「蔵が邪魔になるから、壊しましょう」という話が出た際に、まちの活性化の中で古い歴史的な町並みなどを破壊するのではなく、「蔵をまちづくりの再生に結び付けていこう」という動きが市民や住民からでてきました。他には滋賀県長浜の「黒壁」の建物を活かしたまちづくりなど、このような動きがバブル期の再開発の時期に各地で出てきました。

それらは、非営利で市民の方たちが蔵や黒壁などを活かした事業を行なおうとしていたのですが、当時はそれに見合った法人がありませんでした。事業を進める上では、事業資金を集めたり銀行口座を開いたりなど、法人格を所得する必要があります。行政等の助成金を得るためにも、その受け皿としての法人格に苦慮していたのですが、結局、黒壁等は株式会社で事業を始めました。

このように、非営利でまちづくり事業を行なう際の受け皿がなく、その中からもNPO法の必要性が構想されていきました。このことを最も端的に表明したのが、奈良まちづくりセンターの木原さんたちでした。既存の社団や財団という公益法人ではない、新たな法人格の必要性の提言を「まちづくり」という視点からいち早く行っています。これを受けて、NIRAのグループが立ち上がっていきます。東京ランポも、このような流れの中で「まちづくり」を意識したNPO法を考えていました。

 

原田 2点目に、「まちづくり」を意識した東京ランポがシーズを結成するに当たって大きかったのは、国際協力や環境をテーマとしたNGOとも結びついたこと、そして辻さん自身が情報公開法の制定運動に関わっていたなど、立法運動の知識を持っていた方々が最初の活動の中心にいたことでした。

ここで重要なことは、NGO系の活動をしていた方々と東京ランポが結びついていたということです。その背景には、1992年の国連環境開発会議(地球サミット)、1993年の世界人権会議の存在もあります。今日は堂本暁子さんもいらっしゃっていますが、このような国際会議に日本のNGOも出席するようになっていました。そして、象徴的なことは1993年の東京サミットに合わせて開かれた「もう一つの経済サミット(The Other Economic Summit, TOES)」の事務局を東京ランポが担当し、いろいろな国際協力や環境系のNGOとの接点が作られていた。これらが、シーズの前史としてあります。当プロジェクトで行なったシーズ事務局長(当時)の松原明さんのインタビューでは、松原さん自身が国際協力の活動をしてきた経験から、まさに同じようなことを考えていて、東京ランポの辻さんや林さんと出会って研究会を立ち上げて、そこにアムネスティ日本や自由人権協会などに声をかけて統合させた団体がシーズだったとお話されていました。

1994年11月に「シーズ=市民活動を支える制度をつくる会」が市民団体21団体によって結成され、すぐに参議院法制局と合同で他分野にまたがる勉強会を5回開催しています。その時の資料がダンボールの中から出てきたのですが、このような資料を見てみると、まだ阪神淡路大震災が起こる前からシーズが参議院法制局に働きかけてNPO法の勉強会を開催していたこと、その際のテーマも国際協力、福祉、まちづくり、環境、そして総括として須田春海さんと松原さんが登壇するなど、その後のNPO法の大きな分野となっていくテーマはすでにこの中で議論されていたことが分かります。この時期について、辻さんから補足をおねがいできますか。

 

辻 シーズを設立する前に、東京ランポで「市民活動促進法試案」というものを作りました。山岡さんたちが進めていたNIRAグループの調査報告書の中でも提言がされています。自由人権協会の税関係の委員会からは公益法人への税制優遇、寄付税制について提言がでています。この3者が基本となって、1994年4月にシンポジウムを開催しました。その集会の決議で立法に取り組む運動体を作ろうということになり、シーズの準備会がスタートしました。

そこからシーズが設立される11月までの約半年間、いろいろな団体が集まって議論を重ねました。準備会には多様な分野からの参加があり、後のNPO法の12分野に関わる団体はほぼ顔を出していましたし、市民参加という視点からNPO法を捉えていこうということが、環境やまちづくりの分野から強く言われていました。

 

原田 最後は、シーズが結成された後にその知識をどう練り上げ、伝えていったのかということについてお話します。シーズでは、松原さんという卓越したロビイストが国会議員等に働きかけを行ったことはすでに知られていることだと思いますが、そのロビイングは院内で行なった部分だけでなく、社会一般を巻き込んで行なわれた、広い意味でのシチズンスップ教育でもあったと位置づけることもできます。

ここでは2点を提示してみます。シーズの特徴の一つは、いきなりNPO法の要望書を出すのではなく、市民活動促進法試案が1995年に練り上がるまでは、あえてロビイング等を行なわなかったことです。試案がシーズの中で固まり、自分たちのスタンスや法律案の方向性が定まった段階で初めてマスメディアや国会議員に働きかけを行なっています。当当時の資料を見ると、1995年3月時点では積極的なロビー活動をしないということを内部で確認し、1995年後半から1996年にかけて積極的なアプローチに切り替えています。

また、自分たちの法律に対する方針が固まってからは、会員や一般向けの勉強会やシンポジウムを定期的に行なっていきました。その中で当時の試案に対する意見をもらったり、国会議員をそこに呼んで議論を行なうなどしています。このことはNPO法ができるまで、繰り返されていました。これをロビイングの用語で言えば、アウトサイド戦略といいます。議員などのインサイドでロビイングをするだけではなく、このようにアウトサイドの活動を同時に行なっていたことがシーズのもう一つの特徴だったと思われます。このあたりに直接関わっていた辻さんからは、いかがでしょうか?

 

辻 当時は「NPO」という言葉自身がまったく知名度がなかった段階であり、その上で法人格を求める制度をつくる運動を行なっていたので、まずは議論を巻き起こそうと考えました。私たちも試案を作りましたが、それが絶対なのではなくて、たたき台として提示し、議論を重ねて法律の立法趣旨を形成するということが最初の目標であり、運動の方針でした。そのため、積極的に様々な団体や国会議員の方々との意見交換の場をどんどん作っていき、それを通して徐々に方向性を定めていきました。

NPO法では、特定非営利活動の対象分野として12分野を定めたのですが、当初は福祉など6とか7の分野案でした。そこでまちづくりを推進する団体等から「まちづくり」が必要だという提言が行なわれて、入ったわけです。東京ランポも「まちづくり」を推進していたのですが、自分たちのことを忘れていたんですね。そのように、議論を巻き起こすことで法案のレベルを上げ、ブラッシュアップされていきました。

当時はまだシチズンシップ教育という言葉はありませんでしたが、ある面ではNPO法の動きと平行して行なわれたシチズンシップ教育的な事例をお話します。1991年に世田谷区で、「まちづくりセンター」が設立されています。そこで「世田谷まちづくりファンド」が設けられて、はじめて市民のまちづくり活動へ助成するという事業が始まったのです。これは自分たちの地域のまちづくりに対して市民が主体となって提言や事業を行ない、資金的支援も行なうというものです。同時に今では当たり前になっていますが、林泰義さんたちが当時は演劇に使われていたワークショップの手法をまちづくりに活用した、まちづくりワークショップも行なわれています。これらの世田谷での活動は、今から振り返るとシチズンシップ教育の試みだったと言えると思います。

 

第3部:パネルディスカッション「NPOとシチズンシップ教育」

登壇者

*関口 宏聡(認定NPO法人シーズ・市民活動を支える制度をつくる会 代表理事)
*新田英理子(認定NPO法人日本NPOセンター事務局長)
*三木 由希子(NPO法人 情報公開クリアリングハウス 理事長)
*坪郷 實<司会>

 

 

本論

坪郷 後半は、NPOとシチズンシップ教育というテーマでパネルディスカッションを行ないます。シチズンシップ教育に対しては、例えばNPO法制定記録を教材に取り上げた場合どう活用できるのか、NPO法制定の事例というのは、最初は価値観や考え、あるいは制度的な問題でも関係者それぞれ違いがあったと思うのですが、その中から共通項を作り出していく、それを国政だけではなく、地域も含めた幅広い動きの中で行なっていたことが、事例として活用できると思います。

他方、シチズンシップ教育では政治的な争点を取り上げることが重要なポイントになります。そうすると、例えば現在の安保法制や原発をめぐるエネルギー政策などは、価値観や結論が人によってかなり異なる分野における議論を、どのように構築していくのかということも考える必要があります。今日は、そのような中でNPO法制定ということを念頭において議論を進めていきたいと思います。

パネラーは、新田英理子さん、関口宏聡さん、三木由希子さんです。まず皆さんにお話をいただき、その後で議論したいと思います。

 

新田 私は1998年4月に日本NPOセンターのスタッフとなり、2014年から事務局長として働いています。日本NPOセンターはNPO法ができる過程の中でも深く関わっており、最初の3人の代表は、1970年に日本国際交流センターを創設した山本正さん、日本ネットワーカーズ会議をつくられた「たんぽぽの家」の播磨靖夫さん、日本で最初に国際協力のNGOを立ち上げた一人である星野昌子さんでした。その事務局長・常務理事だったのが、本日も来ておられる山岡義典さんです。今日、私がどんなに発言しにくいかということは皆さんにも想像に難くないと思います。(笑)

日本NPOセンターはNPO法が成立する少し前に設立され、設立のミッションを民間非営利セクターの基盤的な組織を作るとしています。先ほどから話されている、日本の中に分野が区切られた形での市民運動・活動がほとんどだった中で、分野を横断した組織が民間で生み出されることが必要なのではないか。その上で、「市民社会つくりの協働責任者」としての企業や行政との新しい形のパートナーシップの確立を目指すことが必要なのではないかということで、2つのミッションを掲げて活動をしています。それまでの市民活動は、対立構造で語られがちであったり、一方的な要求をする団体だと思われがちであったりしましたが、対等なパートナーシップの確立を目指すことを大きな目標にしています。

日本NPOセンターが20年活動する中で、非営利セクターや民間非営利組織の何が活動基盤なのか、そこにはどういうことが必要なのかということを、いろいろな事業を通して考え、制度提案もおこなってきました。例えば、制度提案関連の事業では「NPO税・法人制度改革連絡会」の事務局をシーズと共同で行なっています。その際には、シーズが国会内のロビー活動を行い、日本NPOセンターが全国のNPO支援センターとのネットワーキングでアドボカシー活動を進めるなど、役割を分担して進めてきました。2011年にはNPO法もかなり改定が進んだため、先ほどの連絡会は解散して地域をベースとしたNPO支援センターの皆さまとともに「NPOの法制度改革推進会議」を2015年に再度立ち上げました。地域のことは地域の中で議論していき、法改正の必要性があれば地域から全国的な活動にしていこうというやり取りも進めているところです。

私たちは、このように日本全国を対象に活動を展開し、全国の地域のNPO支援センターとの強固なネットワークを持ち、東京に事務所があることもあって全国規模の企業との共同事業による社会課題のためのプラットフォーム作りを進めています。皆さんよくご存知のように、日本の民間非営利セクターは、ずいぶん大きくなっています。NPO法人の数も5万を超えていますし、認定NPO法人も1,000に近づいています。その中で「公共に対して誰が取り組むのか」ということが、再度問われているのではないかと考えています。

NPOとシチズンシップ教育という本日のテーマから考えると、5万あるNPO側が様々な形での「参加」をどう促進していくのかはとても重要なことだと考えています。

また「持続可能な開発目標(SDGs)」も重要なキーワードだと考えています。SDGsは2015年9月に国連総会で採択され、192カ国が合意し、2030年までの15年間で17の地球規模の課題を解決しようというものです。単に17分野と分けるのではなく、キーメッセージは「我々の世界を変革する」「誰一人取り残さない」なので、縦割りになりがちな様々な課題にどう横串を刺すかが挑戦であり、それが実現できて初めて持続可能な社会になると思っています。またパートナーシップで目標を達成しようという目標があるように、分野だけでなく手法も提案されています。これが169の全世界共通の指標と各国が定める実施指針との相乗効果で解決を行おうとしています。SDGsはこれからの日本社会にとって大きな意味があると考えています。そこで私からは、「参加」と「SDGs」の2つをキーワードとして提案し、お話をさせていただきました。

 

関口 まず、皆さんに是非お伝えしたいのは、NPOまちぽっとに寄付しましょう!ということです(笑)。この資料整理のプロジェクトはいかにも儲からなさそうですが、社会的に大切なテーマです。認定NPO法人制度の活用として、寄付による参加も重要ですので、ぜひ、まちぽっとさんへのご支援をお願いします。

さて、今回のお話をするにあたって、改めてシーズの代表に至る自分自身の過去を振り返って感じたことは、「自分自身でセルフ・シチズンシップ教育をしていた、またはそのような機会に恵まれていたんだ」ということでした。例えば、中学校の時に生徒会長になって学校内でビオトープづくりに挑戦したり、大学生の頃には環境関係の活動をしたり佐倉市の環境審議会の委員に自分で応募するなど色々な活動をしていました。そのようなことが積み重なって、後にシーズで働き始めるわけです。このような機会づくりが、NPOセクターの人材育成や、そこまででなくともNPOに寄付をしたり、活動に関わったり、アイデアを出したりする方々を増やしていく方々を増やしていく素地を作るのではないかと思います。

NPO法の制定記録は、いろいろな意味でシチズンシップ教育の良い教材になると思います。一つはその中身です。これは、現在も行なわれているように「NPO法とはどういう制度なのか」「その制度を使って、どう世の中を良くしていくことができるのか」ということもあります。もう一つはその過程です。日本社会ではそれまでになかった革命的な手法で法律を作り、それも理念的な基本法ではなく、国民の権利義務を大きく左右するような新たな法人格を閣法ではなく議員立法で実現したことです。最近の学生さんには、正解を求めすぎたり、アグレッシブに攻めたがらない傾向を感じることがあるのですが、例えば記録を改めて学ぶことで「自分たちも工夫と努力で社会の仕組みを変えられるんだ」という、未来に対するポジティブな期待が描けるといいと思っています。

そもそも社会変革を興す存在ともいわれるNPOにとって、教育とはとても重要なテーマです。NPOは、それ自身が教育の場であるとともに、新たな教育を生み出していく主体にもなれると思います。シチズンシップ教育の中で、例えば環境教育、労働教育、消費者教育、法教育などなどが日々生み出され続けていくとすれば、NPOとこのような教育は広い意味で、つながっていると思われます。また社会参加、社会教育、社会統合などの側面では、政治の世界に入るとイデオロギー闘争に巻き込まれてしまう側面がありますが、NPOを介することによって、イデオロギーの違い、所得格差、国籍等を超えて問題解決のために様々な属性の人が結合する可能性があるのではないかと考えています。

NPOの機能には、「自治の学校」としての側面もあると考えています。私自身がNPOの役員や経営を担う際に、それほど違和感なく入ることができた理由は、生徒会などで「意思決定とはどういうことなのか」ということを経験していたことがあると感じます。日本では「自治」について、考えたり体験したりする場が少ないと思うのですが、NPOは自治を体験する場としても有効なのではないかと思っています。

ご存知の方も多いと思いますが、2022年に高校の学習指導要領に「公共」という科目が入ってきます。今後NPOセクターは「公共」という科目にどう向き合っていくのか、このことはもちろん学校教育に留まらずにシチズンシップ教育をさらに広げ、NPOに対する理解を広めていくことにもつながっていくと考えています。

 

三木 情報公開クリアリングハウスは、今でこそ当たり前になった情報公開制度の制定を1980年代から求める市民運動からスタートしました。当時は、いろいろな市民団体等の共通課題として政府が独占的に情報を持っているために社会に参加できなかったり、物事の決定過程を知ることができない、あるいは情報公開法制定運動の当時の中心は弁護士だったのですが、薬害被害者の弁護をするなどの際に被害が起こって救済を受ける段になっても、政府が情報を抱え込んでいるために救済がままならないというようなことがありました。このように1980年代初頭に一つの市民社会の共通課題だった「情報公開」を法制化するために市民運動が始まり、とても時間がかかりましたが1999年に情報公開法が成立しました。

情報公開に関わっていると、民主主義を考えざるを得なくなります。情報公開制度は、主権者の基本的権利として政府が持っている情報へのアクセスを保障するという前提ですべてが動いています。そのため、「主権者」がキーワードになります。政府が何をしているかをよく知らずに市民が選んだ政治家なり議会は、民主主義を代表するものにはなり得ないということが大本としてあります。だからこそ主権者としての基本的権利とは一体何なのか考える必要が出てきます。そう考えると、民主主義とは「市民」の存在がないと成り立たないものであることが分かります。そのような市民に選ばれた政治が、きちんとした代弁機能を果たすことが重要になってきます。

ところが、一人の政治家や一つの政治システムが幅広くすべてを代弁することはできません。そこでミッションを持ったNPOの存在が必要になってきます。社会の関係性の中では、いろいろな側面でつながりながら物事が動いています。その中では政治なり公的組織が持っている情報、あるいはそれらの組織がどのように責任を果たすために記録を取っているのかということが重要になってきます。ミッションをもったNPOの存在が、実は民主主義を豊かなものにしていくのではないかと考えています。

NPOのアドボカシー活動を考えてみても、同じことが言えるのではないかと思います。NPOは、ミッションつまり目的や目指すものがあることが大前提となります。ミッションとは社会の中の課題で、課題は多様に存在します。例えば、いまロビー活動というものが注目されていますが、実はロビー活動だけが解決策ではありません。それは課題を解決する手段です。情報公開制度で言うと、ロビー活動の結果として法律ができた後にその法律を使う人がいなければ情報公開が進まない仕組みなので、ロビー活動をしただけでは何も解決しないことになります。ロビー活動で問題の入口であるスタート地点に立つことには成功した。アドボカシー活動というのは、このように一つの手段と位置づけるべきだと思います。

NPOとアドボカシー活動と政治が、シチズンシップ教育とつながっていくためには何が必要かということを考えてみました。NPO法の制定の際には、法人格を求める多様な集団という存在が見えていたと思いますが、情報公開の場合はその必要性を求める層という漠然としたものでした。情報公開が幸運だったのは、メディアの利益と親和性が高いので、問題や課題が報道ベースに載りやすいことと、権力との関係では分かりやすい対立軸を持っていたことでした。そのため具体的な顔が見えたり、大きな集団にならなくても、一定のイシューとして社会に提示される特徴があり、活動はそれに助けられた部分がありました。

一方で、誰の問題なのかということが分かりやすい社会課題の場合は、ある種の利益分配という政治が持っている性質が働きやすいことがあります。例えば、待機児童問題や人権問題の場合は、理解しやすい課題である一方で、利益分配は「公益」を基準に行なわれないと変なところに利益が行ってしまう危険性があります。つまり、分かりやすい社会課題は社会的・政治的合意が得やすいという一定の分配機能は働いていますが、そこに配分されたリソースを実際に配分する際には「公益」に照らしているかということを誰かが見ているか、または誰かが政策に働きかけを行なわないと、逆に状況が悪化してしまうという問題が内包されています。

大きな課題の場合は、政治的な対立や衝突があり合意の難易度が高まります。例えば特定秘密保護法の場合は、変えることができる部分と出来ないであろう部分が最初からある程度はっきりしていました。推進勢力も反対勢力も自身の主張を声高に訴えることで自らの立ち居地をはっきりさせ、衝突している状態が妙な均衡バランスになっているという側面もあります。そこに違うバランスを入れようとすると、とたんに難易度が跳ね上がります。

再分配の話に戻すと、子育ての負担をどう削減しようかなどを考える際に、今後年金は減っていったり医療費の負担が増えるなど、社会保障政策全般ではどんどんコストが増えていく中で国民や市民の公益としてどう議論するかということになると、とたんに人がいなくなるという問題も出てきます。問題が大きくなればなるほど、実際に当事者として大きな利益や大きな議論をする場が、市民社会の中にも実はないのではないかと感じることがあります。子育て支援の議論も、それだけだとこのまま社会保障費が嵩んで財政赤字が膨らみ、このままでは社会はどうなるんだろうという不安には答えていません。

もっと大きな議論を行なう必要があるのですが、私たち市民社会はそこにまだ踏み込めていないのではないでしょうか。そこにはいろいろな政治的価値観が入ってきますが、人々がよりよく生きるという視点は、どんどん欠けてくる傾向があります。それをどのように乗り越えるかという方向に、シチズンシップ教育や市民のあり方が展開していくといいのではないかと考えています。

NPO法の記録をどう使うかということでは、NPOは多様な争点があることを示す教材として非常に良い存在だと思います。そして大人が社会参加しているロールモデルです。子どもにいくら教育しても、大人にロールモデルがなければ、学んだことをうまく社会に反映することができません。また、政治とのかかわり方を示す実践例にもなります。そのように、NPO法の記録は優れた教材になり得ると思います。

韓国の選挙管理委員会や政治教育の調査をして面白いと思ったことは、選挙管理委員会が憲法機関で独立していて、シチズンシップ教育はこの選管が中心となっていることです。うまくいっているかどうかはこれから調査する予定ですが、ここから学校や地域のコミュニティに教材を提供したり研修を行なうなどの人材育成をしています。日本で文科省や教育委員会など行政の一部が推進する形となると、そこには中立性の議論が必ず出てきます。議論の前提や枠組みをどう広げていくかという話をしていかないと、結局は異なる見解や主義とどう向き合うかという実践がうまく出来ない可能性があると思われます。

とにかく争点を矮小化しないこと、当事者が政治的中立性などの議論をするだけではなくて当事者性から少し離れた議論を行なうべきではないか、そこにNPOなどの市民社会組織が関わっていくべきではないかと思います。このような中に、今回のNPO法の記録を活用するといいのではないかと思っています。

 

ディスカッション

坪郷 18歳選挙権と一緒に、本格的に主権者教育が導入されました。基本的な認識として、高校生は基本的に政治的な判断力を含めて成熟していると考えるのか、あるいは未成熟であり主権者教育が不可欠であると考えるのか、どちらの見方をするのかは今後の主権者教育やシチズンシップ教育の大きな分岐点になると思われます。またNPO法制定の記録は国立公文書館に入る予定ですが、このままでは教材にはなりません。これを教材として学校など様々なところで取り上げる「教材作り」をしてみようと思われるかどうか。あるいは高校生よりも、むしろ大人向けのシチズンシップ教育プログラムの企画作りを考えているのか、などを念頭において、皆さまご自由にコメントください。

関口 私たちは最近、『草の根ロビイング勉強会』という企画を進めています。そこがシチズンシップ教育と直結するかどうかは別として、体感としてアドボカシーやロビー活動への関心は増えていると感じます。これは、NPO法が切り拓いてきたことが実を結んできていて、twitterやfacebookを見ても○○問題を解決するためにNPOを作ろうという一般の投稿が増えているように思います。私たちは、まずはこの勉強会を進めていきたいと考えていますが、高校生や大人への教材の作成も重要だと考えています。

三木 大人向けのシチズンシップ教育はとても重要だと思います。子どもの身近にいる大人がシチズンシップ教育を分かっていないと、子どもに対して何の説得力もないということもありますし、物を教えるという場面では親の果たす役割は無視できるものではありません。地域社会の親や大人が子どもに与える影響を考えると、教材を作成する必要性もありますが、そこを考えることが重要です。18才選挙権というテーマは、瞬間風速は大きいですが社会の関心はそう長続きしないと思います。定着させて広めるためには、大人を含めたシチズンシップ教育という視点が不可欠だと思います。

子どもに関して言うと、子どもの権利条約では「子どもの発達に応じた権利保障や権利行使」などがベースにあるので、子どもの最善の利益を考えて発達段階で適切に本人の権利が保障されることが重要です。それを考えると、いきなり大人になるのではなく徐々に政治性を育てていく教育などが大切です。権利行使は特別な人のわがままではなく、社会のシステムの中で正当だということを、子どもの段階から認識することも必要と思っています。このようなことを行政が作る教材に期待するのは中々難しいので、市民の実践として提供できるものは何かということを議論できたらいいと思います。

新田 ひとつひとつのNPOの財政難は今も深刻です。志は高くあったとしても、経済的なものに絡め取られがちです。例えば、シチズンシップ教育をしようと意欲的な団体が教材を作ろうとしても、その費用を助成金やクラウドファンディングでどう集めるかということになりがちです。NPOの財政をどう支えるか?そこを何とかしないと、結局、政府や自治体のモデル事業で冊子や報告書を作って終わり、となってしまいます。日本NPOセンターが組織基盤整備をミッションとしているなら、このような問題にしっかりと向き合うことが必要だと考えています。

また、先ほどお話したSDGsでは、15年にわたった世界の目標を設定し、そこに長期的にコミットできる仕組みをつくることが重要です。というのは、短期的な活動で成果を求める世界的潮流があり、休眠預金の活用でも成果をきっちり出す活動に資金を提供するという議論になりつつあるからです。もちろん成果を出すことは重要ですが、それが長期的な成果なのか短期的な成果なのかという議論を、これからしっかり行なっていかなければならないと思っています。

一方で、SDGsが重要だという発言をしている世界的な企業が、四半期ごとの株主に対する決算報告を止めるという宣言を出す時代になってきています。NPOとしても、このような社会の動きも見ながら、単なる経済合理性や一般から見た分かりやすさだけを追求してしまうように陥らないよう、バランスを取っていくことが重要だと思っています。

 

第4部:ワークショップ報告

登壇者、参加者を交えたワークショップを行いました。テーマは、1「NPOやシチズンシップ教育について、活動していることや考えている内容」、2「NPOとシチズンシップ教育という観点から、これからの市民社会についてどう考え・感じるか」となっています。

 

 

 

 

 

【グループ1】

民主社会に必要なものの一つは批判性ではないかという話が出ました。今はIT社会ですが、IT情報は二次情報ですから情報の自明性を疑う批判性が重要になっている。そのことは学校から始めることも可能であり、例えば学校や教員の言うことを疑うことから始めて良いのではないか。他に市民社会に必要なものとして、NPOには行動分析や調査研究が足りないのではないか、あるいは目の前の課題解決のみに終わっていないだろうか、さらに対話やコミュニケーションの分野を形成することが必要ではないかという話が出ました。異なる意見があっても相手の話をじっくり聴く、市民が安心できる場で話すことができる、そして相互理解できる。その場では結論は出なくても良い。そこから始められるのではないかという議論となりました。

 

【グループ2】

NPO法制定から18年、法人が5万団体を超えているのにも関わらず、社会的に影響力のあるNPOが一部に留まっているのではないかという意見が出ました。また、サードセクターの中でも分断があるのではないかという課題が挙げられる中で、現在はかつてよりも異質な価値観を持つ相手の出会いが減っているのではないかという意見がありました。同質性の高い相手とだけ交わっているのでは、シチズンシップ教育は醸成されていかない。

また、かつてのNPO法制定時のテーマ設定のような大きなアジェンダ設定が、現在必要とされているのではないか、実際にNPOの中にそのような大きな課題をテーマに活動している団体はあるのか、などの意見がありました。それに対しては、現在は大きい枠組みでなくもっと身近なテーマ設定こそが必要であり、地域の中で活動しているNPOの中にこそ大きな枠組みという視点があるのではないか、その深まりの先にシチズンシップ教育の重要性があるのではないかという議論になりました。最後にシチズンシップ教育に必要なポイントとして、NPOのかかわり方など具体としてどのように取り組むのかということと、教育の視点から見た場合には個人で獲得するだけでなく一緒に学びあう場作りも重要ではないかという意見が出ました。

 

【グループ3】

大人に対してのシチズンシップ教育のアプローチが重要だという議論になりました。現代社会の構造として、社会に従順な人とアドボカシーに積極的に参加するような人との両極化がある背景はなぜか。その一つの仮説として、現在管理職についている層はバブル期に入社しており社会に不満が少ないために自治会等にも参加しないのではないか、そのことが下の世代に悪影響を与えている、だからこそ大人に対するシチズンシップ教育が重要だという話でした。子どもに対しても、高校生からシチズンシップ教育を始めるのは乱暴で、その前からNPOの活動に参加するなどの体験を重ねることが重要ではないかということでした。また、“教育”という言葉へのもやもやもあり、本当に教育という言葉でシチズンシップ教育をまとめてしまっていいのだろうかという意見もありました。

 

【グループ4】

NPOの活動を見てみると、シチズンシップ教育の実践として教材にするには最適という意見がありました。一方で、NPO側もその担い手としてどう意識していくのかが大事になってくるのではないかという意見がありました。自分で考えて判断する能力を早い段階、例えば中学生で身に着けることは必要だろう、その部分でのシチズンシップ教育の重要性の指摘もありました。

 

【グループ5】

シチズンシップという言葉以前に、自分が市民であるという感覚を持っているか、区民と市民の違いは分かるだろうか、この部分の自覚することの重要性について意見が出ました。そうなると、他者の多様性を認め合う体験が必要なのではないかということから、日常的な人権教育の話題になりました。多様な意見を交し合う場が保障されていることが重要なはずですが、現在そのような場はあるのだろうか。効率・マニュアルの価値の方が高いような社会では、多様な意見を言える保証がされている場が少ないのではないかという意見がでていました。

 

【グループ6】

議員立法を進めるNPOだけでなく、議員立法と行政をつなぐNPOもこれからの市民社会の役割として重要になってくるのではないか。また「誰かに委ねるのではない自立と参画」という視点の重要性も出ています。特定のNPOにお任せにしてしまうと、シチズンシップという考え方が広がっていかないという意見がありました。他には市民研究力が重要という話もありました。反対や賛否を表明する前に知ることが重要であり、そのような市民研究が、市民社会やシチズンシップ考える際には必要だということでした。

「シチズンシップ教育」という時の「教育」は、コミュニケーションモデルでいうと古いタイプの「教える/教えられる」という構造になりがちであり、そうではない枠組みの変化が必要なのではないかという意見もありました。そして、シチズンシップ教育に市民社会が関わっていく際の課題として、課題の提示なのか、解決策を含めた提案の提示なのかによって、NPOが出来ることは大きく変わってくると思われます。解決策を含めると啓蒙のような話になってくるので、市民社会自身が「シチズンシップとは何か」「市民社会に含まれる多様性をどう包摂するか」などを考える必要が出てくるという意見が出ました。

 

坪郷

皆さんのお話の中に重要な論点が沢山でました。一つ挙げると、従来の教育の「教える/教えられる」という枠組みでいいのだろうかという点です。教育の場でも、現在はアクティブ・ラーニングという手法について盛んに議論しています。これは、議論の場をどう作るのかということと関係しています。今日のシンポジウムの最後にワークショップを行なっているのは、今回の一連の連続企画では一方的に話を聞いてそれで終わり、あるいは質問をいくつか受けて終わりでは、せっかくの議論が身につかない。ワークショップで皆さんが行なう議論を通じて、今日の全体の議論がかみ合っていたのか、そうでなかったのかなど、突っ込んだ形にすることが重要だと考えているからです。優れた中学や高校の教員は、「教える/教えられる」という一方的な関係ではなく、子どもたちから多くのことを学び、成長しながら授業を行なうと聞いています。

「課題の提示」か「解決策の提示」か、という話もありました。例えば、学校で今の地球環境問題が厳しい状況になっているということを、とことん教えたときに生徒がどう感じるかというと「地球はもうだめなのか」となってしまいます。それではダメなので、現状はこうだけれども、このような政策や制度を導入していくと変えることが出来るというように、解決策を提示して一緒に学んでいく場にしていく必要が出てきます。

市民社会全体の構造を考える際にも、当面の財政問題や人の確保の問題などに対応しないと先に進めないのですが、こうした短期的な目標と市民社会の将来などの長期的な目標についてはやはり両方を各NPOが考えながら活動していくことで全体が強くなっていくことを意識すべきだと思います。そのための独自調査の必要性という意見も出ていたと思います。

この社会の中に、多様な価値観を持った人たちがいるということは間違いありません。その多様な価値観をもった多様な市民からなる社会で、少なくとも対話を続けている限りは極端に変なことにはならないと思います。私は、今の国会の中ですれ違いの議論が続いていることに非常に危機感を感じていますが、対話・論争が行われコミュニケーションが出来ているのかどうかを我々は注視していかなければならない。そのような論争文化を市民社会が作り出していき、国会までその影響を及ぼすようにならなければと、難しいかもしれませんが、そのように感じています。

今日は、皆さんがワークショップで充実した討議を行なっていただき、良いシンポジウムになったと思います。どうもありがとうございました。